自動車の運転

   

免許を取ったのは15年ほど前だ。もう40代だった。松田自動車学校に通った。自動車学校の教官の悪い噂は聞いていたので、どの程度のものだろうと、興味シンシンに出かけていった。なるほど、分からん奴にものを教えていると、人間こんな風に成るものかと、納得がいった。そのくらいの程度に、問題ありだった。出来ない人間を出来るようにすると言うのは、大変な事で、教える人間を壊してゆくようだった。不可思議な事に市役所には、学校の先生だった職員が何人かいる。聞いたことはないが、それ以外には考えられない態度なのだ。世の中の人間は全て小学生レベルだと考えてしまうように、成ってしまっている。松田自動車学校でどんな生徒だったかというと、法規の試験は全て100点だった。しかし、肝心の運転の方は、止めた方がいい、お前ほど可能性のない人間は見たことがないと、どの教官にも言われていた。

と言って、どうしても必要で免許を取りに行っている訳で、止める訳には行かない。当時、山北の高松山の山中に暮していた。下から歩けば、45分ぐらいはかかる。そこを、歩いて暮していた。1年して、ミニバイクの免許を取った。それで何とか、暮していたのだが。どうしても必要な大型な買い物に困った。ザックに詰められるものまではいいのだが、ベニヤ一枚、どうしても持ってきてもらわなければ成らない。ところが、これが山北方式で。行きますよ。と言いながら着てくれない。取りに行きたくても、車がないからどうしようもない。雨の日の夜に、駅でタクシーに断られた。あそこは危ないから行きたくないと言うのだ。無理もないのだが、雨の中歩い真っ暗な道を登るのも危ない。母は歩くのは平気だったのだが、病気で病院に行くのに、限界が来た。

悲惨な交通事故が実に多いい。報道を見るたびに、自分が起こしたらどうしようと不安になる。不安で、運転する時動悸がするような日もある。しかし、いつもは、そんな事は忘れて、暴走族だと家では言われている。免許を取ってすぐの頃、スピード違反が2回。忘れもしない、福島県と、長野県だ。それはないだろうというところに、警察官が隠れていた。人間を犯罪者としか見なくなるのだろうな。どうしたって、初めて通る者にはスピードが出てしまうという場所がある。登ってきて気付かず下る地点だ。錯覚する。それなら、危ないのだから、道路の方を直すべきだと思う。ドイツでは死亡事故が多発して、運転者の注意を喚起したが、事故は減らない。そこで、道路の総点検をした。例えば、道路際にある、電柱のような物は撤去した。それで死亡事故が半減したそうだ。

日本の道路は滅茶苦茶だ。久野には細い、昔からの歩く目的のままの道に、バスやダンプカー、それに巨大な三国工業の輸送車が入ってくる。この危険な道路に駐車している車が多数要る。道路に止める以外、その家に配達できない。そうした結果、良く事故が起きる。今度出来た、広域農道の坊所の交差点など、3回も事故を目撃した。危ない道路を作るものだ。大分慣れてきたので、事故は減ってきたが、慣れるまで事故が起きないように、注意を喚起する方法は取れなかったものか。あそこが危ないと言うのは、誰もが気付く事だ。小田原の交通安全協会と言うところに電話をして見た。危ないので何とか成りませんか、と言った。そうしたら、こちらはそう言う事にかかわりはありませんと断られた。名前に偽りがある。

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