年齢を受け入れ、前向きに生きる。

   



 中央の田んぼが9番田んぼでサトジマンだ。太田さん担当である。ここを少しだけ手伝わせてもらった。左奥が、マンゲツモチである。このさらに奥にもう一枚マンゲツモチがある。マンゲツモチの方が少し早稲である。マンゲツモチは今年とても出来が良い。

 一年歳をとることを前向きに考えることにしている。歳をとることを受け入れることにしている。自分の身体を内観し、それに合わせた行動をとる。無理に年寄りぶる必要もないし、若ぶる必要もない。ありのままを受け入れたいと思っている。

 その一日を生きることにすべてを投入して生きる。余力を残さず、明日のことに煩わされず生きる。それは自分の命が限りあるものだということを自覚することで、より明確なものになる。絵があと何日かけるかと思えば、今描いている一枚に力を注ぐことが出来る。

 73歳になったが、年齢は自覚している。100歳で死ぬことにしているので、あと27年だ。この27年をどのように使うか。今日がその一日であると考えて生きている。70歳くらいまでは歳のことは忘れていた。忘れるようにしていたのかもしれない。

 死を意識して生きることはあまり気分の良いものではなかった。然しそれは事実であるし、その前提で生きることが現実なのだから、死は当たり前のことと言える。一年歳をとるごとに死を受け入れるようになってきた。死によって一日を真剣に生きることが出来るなった。本来、生まれた時に100年後には死ぬという事なのだ。

 去年から光アレルギーになった。石垣島の光りが強いという事もあるが、やはり老化して、皮膚の対応力が落ちたのだと思っている。耳もだんだん聞こにくくなっている。どうもマスク越しの小さな声には困る。何度でも聞き返してしまう。疲労してくると余計に耳が悪いようだ。補聴器がいるほどではないお思うのだが、考えた方がいいかもしれない

 身体的な健康、健康につながる行動、心理的幸福との関係を調査した結果が掲載されていた。老化に対する満足度が最も高い人は、満足度が最も低い人に比べて、4年間の追跡期間中の全死亡リスクが43%低いというものだった。

 石垣島に暮らすようになったら、絵だけをかこうと考えていた。それがのぼたん農園を始めることになり、むしろ小田原に居たころより、やることがいつも前にある。生きていてやらなければならないことがあるという事は、死ぬわけにはいかないという事だ。

 それが石垣島で田んぼを始めた、この一年間のことだった。絵だけ描く生活を3年間やった後、田んぼを始めたことになる。これは悪いことではなかった。絵だけ描く3年があったから、のぼたん農園の冒険が始められたのかもしれない。

 のぼたん農園ではまだ日本ではやられていない農法を3つ試みようとしている。「水草緑肥」「ひこばえ農法」「天水田」そして(光合成細菌の増殖。)天水田については与那国島で行われていたものを参考にしている。天水田は初めての経験である。今まで整理して書いていないので、ここに書いておく。

 水の少ないところでは雨水を上手く利用して田んぼを作っていた。のぼたん農園はいくらか湧き水はあるが、水が少なくなる時には水道の弱め位の水量の湧き水である。このくらいの水で、日常維持できる田んぼの面積は2反程度である。

 この細い水を生かして、渇水期も乗り越えるためには田んぼには工夫が必要である。先ず田んぼの水が畔から抜けることを出来る限り防がなければならない。その為には通常よりも畔は太くしっかりとさせなくてはならない。これは修学院離宮の田圃も同様である。

 特に傾斜の下側の畔は4m幅ある。ここを畑として利用する。畑には大豆と麦を植えたいと考えている。畔と言っても畑だから無駄になる訳ではない。麦については水が多いいという事が問題になるかもしれないので、その時には作物を変えようかと考えている。

 本来10枚を傾斜に従って作る方が良かったのだが、のぼたんが下の方にあることが分かったので、のぼたんの原生花園として残したため、8,9,10番の田んぼは少しずれているために、水不足で耕作が困難になっている。

 そこで、果樹園の下に果樹園から流れ出る水を集めるため池を作ることにした。上の溜池の水が足りなくなった時に、そこの水を使う予定である。果樹園の上には7番田んぼがあり、果樹園全体にいくらか湿気が来るようにしてある。果樹園の水やりの軽減である。

 また、10番田んぼの下にも、排水を集める沈殿池があるので、そこの整備も行い、そこから水をポンプアップできるようにする。のぼたん農園に降った雨はすべて溜まるようにしてゆく予定である。それらの溜池は水牛の水浴びにも利用するつもりだ。

 天水田の作り方である。先ず畔を広くとること。次に田んぼが漏らないようにする。与那国島では6月には稲刈りを終え、その後は田んぼが水漏れしないように固める努力をした。水牛を5頭並べて田んぼの中を歩かせる。これを何十回も繰り返す。

 雨が降れば、夜中であろうと松明を炊いて、薄明かりの中、天水による代かきを続けたそうだ。それを繰り返している内に土壌が徐々に漏らないようになる。そして11月に種をまくという流れになっていた。のぼたん農園でも、雨を上手く利用して、トラックターで徹底した代かきを行う。

 こうして、わずかな水でも1番から10番まで水が入るようにしなければならない。一年中水が漏れないように、水は張り続ける。一度でも乾かすと、天水田んは少ない水では水は戻らない。これは水草緑肥農法でも通年通水が必要なので、共通の目標である。

 ひこばえ農法では、稲刈りの時水があっても問題ないと考えている。いくらか水は減らすが、土壌が乾くほどにはしないほうがいい。この点でも天水田と矛盾はしないだろう。そして通年通水で土壌を腐敗させないために、光合成細菌を投入する。

 光合成細菌の増殖を行えば、肥料を補う事になる。ひこばえ農法は2年に7回もの収穫をする農法だから、常に追肥をしてゆく必要がある。追肥を光合成細菌で行う事を考えている。それでも肥料が不足するようであれば、落ち葉堆肥や、水牛の糞を入れる。
 
 こうしてこの先の冒険を考えていると、未来に希望が湧いてくる。健康で一年でも長く、田んぼをやりたい。これは、日本の未来につながる自給農業の究極の形だと考えている。のぼたん農園の冒険は次に人間の生き方を示しているとまで考えている。

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