統一教会に見るカルトの蔓延

   



 統一教会の憲法改定案は、自民党の憲法草案と類似している。統一教会の改定案が自民党草案に影響した可能性が言われている。特に家族主義にこだわった安倍氏の姿勢には、統一教会の圧力を感じるところがあでる。実はこの問題は統一教会に限ることではなく、アベ政権は有象無象の圧力組織が作り出した、過去最悪の政権だった。

 霊感詐欺で逮捕されたカルト教団と深い繋がりがある政党が日本の政権党自民党なのだ。深い繋がりなどないといいながら、利用しているつもりが利用されている結果になっている。これは自民党と公明党の関係を想起させるものでもある。公明党は平和の党を表明し、創価学会との関係を一応距離を置いているが、まったく創価学会を拡張し、養護するための政党と言うことになっている。

 自民党が統一教会との関係を清算すると表明しているのであれば、公明党との関係も断ち切るべきだ。統一教会と関係を深めた理由は選挙が主たる物だ。それは公明党との関係を潜在化させたような物だ。選挙に勝利するために統一教会の活動力に乗ったのだ。

 統一教会は信者数56万人が自称数である。創価学会は826万世帯とされている。与党への影響はこの数字の大きさと活動力、資金力にある。政党が党員の活動力を衰退させる中、宗教による影響が強まったと考えることは出来るだろう。

 選挙に勝つためにはかなりのことまでやるのが選挙を死活線とする議員である。宗教を利用しようとする議員は、地方議員から国会議員までかなりを占めている。それは保守系の野党と与党中心ではあるが、それだけではないという実情がある。

 日本の社会は不安が支配し始めている。経済の先行きの不透明が一番大きな事だろう。明日の暮らしがどうなるかと思えば、人は不安定にならざる得ない。衣食足りて礼節を知るのだ。日本の貧困は日に日に深刻度を増している。恐ろしいことは、貧困などないと感じている人が余りに多いことだ。

 経済だけではない。日本の社会は方角を失った。どこに向かうべきなのかが見えない社会。頑張ろうとする健全な若者が、環境対策とか、災害ボランティアに向かう。悪い事ではないのだが、建設的な行動ではない。何とか壊れかかる物を止めようと言うことになる。

 本来であれば若い人達がもっと前向きな新しいものを作り出すことに向かうものであって欲しい。海岸のごみ拾いをすることは素晴らしい行為であるが。その結果はきれいになるだけであり、元に戻るだけのことだ。本来であれば海岸線をどのように、人間の暮らしに生かすべきか建設的に考えられる状況であって欲しい。

 ところが、現状の社会は悪い事の勢いが強くて、それを食い止めることに力を尽くさざる得ない。私の所にも、様々な人から、こういう反対運動に協力して欲しいという要請が来る。たとえば、「石垣島に自然を破壊するゴルフリゾートはいらない」と言う活動がある。私も大反対である。

 しかし、反対が成功したとして、ゴルフリゾートが出来ないだけである。重要なことは石垣島の自然の豊かさと人間の暮らしをどのように調和させるかである。反対運動に力を費やせば、何かを作り出す事がおろそかになる。私であれば、のぼたん農園を作ることに全力を費やさなくてはならない。

 そうしたジレンマを抱えている人が多数生じている社会だ。この充分に活動できない気持ちを一気に解決するという誘惑がカルト宗教にはある。社会が行き詰まれば行き詰まるほど、カルト宗教は広がってゆく。日本はオウム事件以降、カルト手段が巧みに潜在化していると考えなくてはならない。

 その一例が統一教会である。いつの間にか名前を変えていたのだ。いまも、報道は旧統一教会と言わざる得ないが、統一教会自体は何も変わらず自民党との結託を計っていたのだ。あのしあわせなんやら党という意味不明の団体も何を目的にしているのか不気味である。

 そもそも、宗教団体は私が所属している曹洞宗も毎朝天皇家の事を祈っている。その結果戦争協力を担うことになった。キリスト教から仏教まで、すべての宗教組織は戦争協力に奔走した。宗教組織は我が身を守ろうとして、権力にすり寄るのだ。それが統一教会のような極右勢力であれば、自民党の党是と大きく違わない。

 だから利用し利用される関係が生まれる。カルト集団であれば、当然霊感商法や信者の拡大に、安倍氏のビデオメッセージを利用しているのだ。それを承知で協力してきたのが安倍氏である。統一教会と深く関係している。これは推測であるが、ビデオメッセージを出さざる得ない弱みがあったと考える方が自然である。

 政治がきれい事ではないという所だろう。清濁併せのむというが、利用しているつもりが利用されることになる。社会が不安定化してきている。何かに頼ろうとする人が増加しているだろう。コロナのことも、台湾有事も、カルト集団は利用するのだ。

 不条理な社会になればなるほど、自分というものをしっかりとさせなくてはならない。何かに頼る前に、自分の立脚点を確認することだ。曹洞宗の禅林には入口に脚下照顧と書かれている。これを履はきちっと整理しなさいと説明した僧侶がいたが、それだけではない。

 この叢林に入る前に、自分の立脚点を自覚しなさい。と言うことなのだ。座禅を行う前に、自分がどういうものであるかを確認する。座禅は何かの解決策ではなく、座禅そのものが目的なのだ。只管打坐に入る自己存在をみつめること。

 社会の中に、隠れて広がり始めているカルト組織は、オウムのテロ事件のあと、無くなったのではなく、巧みに隠れるようになっただけなのだ。どうすれば避けられるかは簡単なことだ。科学的な思考を身につけることだ。統一教会にしきりに勧誘されたときには、徹底して論理で対応した。

 科学的論理は誰にとっても共通のものだ。カルトの論理は必ず、エセ科学を含んでいる。論理に飛躍がある。何かを信仰すれば、恩恵が受けられる事などあり得ない。信仰は信仰するという行為だけのことであり、結果を求めるようなものであるはずがない。

 信仰すれば天国に行けるなどと言うのも、まやかしである。免罪符を販売した、霊感商法のようなものだ。科学的な思考法を身につけることだ。義務教育で勉強をするのは科学的な思考法である。迷信に影響されないような人間になるためだ。

 健全な社会が崩壊しかかっている。総理大臣までもが、統一教会に関係していた。その人を国葬にしようというのだ。前例のないほどひどい状態である。そして、その流れで平和憲法を統一教会と同じものに変えようとしている。世界は危機の時代にある。

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