考えたくはないが、オリンピック中止か。
今日はエープリールフールである。「東京オリンピックの中止が決まった」と書けば今フランスで起きている捜査の深刻さが伝わるだろうか。1月に仏捜査当局が、日本オリンピック委員会の竹田恒和会長を収賄容疑者として捜査開始した。そして、3月になって竹田氏は委員長を退任した。竹田氏はフランスの裁判にかけられることになり、有罪の判決が出るだろうと心配している。竹田氏が悪いというより、日本オリンピック委員会が犯罪まがいの行為をやむ得ないことと考えていたのだろう。させたということだと思う。ギリギリの犯罪まがいのことをしなければ、東京オリンピックは誘致できなかっただろうと、たいていの人は考えている。オリンピックの誘致の理由が経済効果だったのだから、やむ得ないことになる。前回のオリンピックは日本が敗戦の焦土から立ち直ったことを世界にお披露目しようということだった。フランスの検察は日本のようにアベ忖度だ、などとあいまいに終わらせはしない。賄賂まがいのお金で票を買っていると考えて当然である。世界には票がお金になるならと考える委員がいることは想像できる。日本の社会だって、儲かるなら仕方がないという体質になっているのだから、オリンピックだけ違うと考えることはできない。そうしなければ、オリンピックが開催できないということも現実で、世界に金権主義が蔓延しているということだろう。人間というものは本当に情けないものだ。だからオリンピックなどやるのは反対だったのだ。
残念だと思うがオリンピックは返上すべきだ。そうしないと、竹田氏が起訴されてぐちゃぐちゃなままオリンピック開催になるだろう。すっきりしたオリンピックはもう無理だ。そもそも、オリンピックで金メダルを取ること自体が経済になっている。莫大なお金を準備しなければ、金メダルは取れない。もうアマチアスポーツという考えは消えた。自分のための道としてのスポーツではなくなった。スポーツでメダルを争うほど強くなるためには、スポンサーがつかなければ無理。練習場の確保すら難しい。お金のかかる高名なコーチを雇わなければならない。一流のスポーツ医学的な支援も受けなければ強くなれない。メダル候補にならなければ、スポンサーもつかない。スポーツがオリンピックによってゆがめられた。世界に蔓延する金権主義でスポーツ自体がおかしな金稼ぎの道になった。それをおかしなことだという空気すらない。バトミントンの金メダルコー歩選手は、賭博で逮捕されたことがある。そのときの発言に、競技選手としてやってきてために、賭博に興味を持つことは近かったとあった。賭博をするような気持ちで、スポーツをやっている人がいる。
といいながらも、オリンピックは予定通り行われることだろうと誰もが思っている。今日はエープリールフールである。みっともない疑惑を抱えながらのオリンピック開催になるが。世界はオリンピックがお金で動いていることを承知だから、竹田氏が有罪になっても、オリンピック中止を決められないだろう。一切そういうことを除外するなら、オリンピック自体が開催できなくなる。ロシアや東ドイツなどは国を挙げて、薬剤を使い選手強化をしていた。そんなことまでしても、金メダルを取りたいということは、独裁国家の維持に強い選手が必要ということだろう。経済力のある国は国力を上げて選手強化をするのはとうぜんになる。しかしこういうことはオリンピックのそもそもの理想からすれば、とんでもない方向なのだ。オリンピック憲章をもう一度確認すべきだ。プロ選手の参加もなかっただろうし、コンピューターゲームを種目にするなどというばかげた案も出てこないはずだ。オリンピック委員会というものが経済で動いている。
オリンピック憲章をもう一度確認すべきだ。冒頭にオリンピック精神とは生き方の哲学だとしている。経済効果などどこにも書いてない。オリンピックは人間の生き方を極めるためのものなのだ。日本の政治家はこういうことは考えたことも無いだろう。そんな建前などどうでもいいという世界観。オリンピック憲章は日本の道と同じようなものを求めている。一番になるなどと言うことにだけ、目をむいている現代のオリンピックはオリンピック憲章の精神から逸脱している。まして経済効果などとんでもない話になる。今回の東京オリンピックは復興オリンピックでは無かったのか。復興事業でも補助金詐欺のようなことがあった。本当にお金に汚い世の中になってしまった。人間を極めるためにスポーツがあるという哲学は維持しなければならない。