防衛大綱の見直し

   

防衛大綱の見直しが進められている。「専守防衛」が解釈が大きく変更されようとしている。専守防衛とは何か。戦後史の中で、攻撃的武力を持たないという専守防衛の考え方が、定着されてきた。しかし、予定される防衛大綱ではこれが覆される。中国に対する備えには、今までの防御的武力では不足するという考えに立っている。海上自衛隊の「いずも」型護衛艦を改修して戦闘機を搭載できるようにする航空母艦の所有。艦載する最新鋭ステルス戦闘機「F35B」の導入の予定。南西諸島に戦闘機の基地を作り、敵基地攻撃を可能にするという考え方も出てきている。積み上げてきた専守防衛の思想を捨てようとしている。これも議論もなく進む事であろう。敵基地への先制攻撃可能な戦力という考え方は、日本国憲法に示された、平和主義を根本から覆すことになる。所が自民党の主張では、防衛大綱の変更をあくまで専守防衛の枠内であるとしている。重要なことは日本がどう考えているかではなく、防衛大綱の変更に対して中国や、近隣諸国がどう考えるかである。自分の所への攻撃能力が高まるのだ。日本の再軍備化と考えるに違いない。

アベ政権は敵基地を攻撃できる能力まで備えることで、抑止力になると考えている。しかも、口先で専守防衛の範囲だと主張する狡猾さである。近隣諸国にとって日本の攻撃力は侮れないという考え方。さらに軍事力競争が繰り返されることになる。日本の平和主義は専守防衛である。近隣諸国へ軍事攻撃の不安を感じさせないというところにある。専守防衛とは、日本が攻撃ができない国であるという意味だ。日本が主観的に敵基地先制攻撃可能な武力をも、専守防衛と主張したところで無意味である。東アジアの軍事的な状況が変わってゆくことになる。緊張が高まっているので、それに軍事力で対応しなければならないとする状況判断は、近隣諸国も同じことである。この考え方自体が、憲法の平和主義の精神に反している。憲法では国際紛争に対して、平和的な努力で解決するよう、政府に指示している。一体どれだけの平和的な努力をしたというのであろうか。尖閣諸島の国有地化以来、中国との緊張は高まった。もし、平和外交であるのなら、尖閣を話し合いで解決するための、交渉の場を提案すべきだ。

中国は経済大国化している。人口からしても大きな国だ。その経済の成長速度は日本の高度成長期を超えている。実に危うい成長過程にあるが、中国にしてみれば、中国にふさわしい軍事力を整えようという事であろう。それが良い選択とは思わないが。軍事費を人口比で較べれば、日本は中国の2倍である。日本は専守防衛の考え方が、世界から見てどう見えるかを考えるべきだ。別段普通の軍事力の国と見えているはずだ。ドイツ、フランス、イギリス等とほぼ同じレベルの軍事費なのだ。この軍事費を専守防衛の為にどう利用するかである。敵基地攻撃能力を持つべきという事を産経新聞は主張している。専守防衛を捨てろという事になる。それは一つの主張である。しかし、アベ政権は敵基地攻撃可能な武力を備えながら、専守防衛の範囲と主張する。この考え方が危険なのだ。日本程度の軍事力で、普通の国としての軍事力を整えるという事は、中国と張り合って軍事力競争に入るという事になる。中国は核保有国である。必ず日本も核武装すべきという事になる。

こうした、軍事力競争がどういう結末をもたらすか、過去の歴史を見ればわかることだ。対立は深刻化して行き、最後にはまた戦争である。その反省から、日本は平和国家として歩むという選択をしたのではなかったのか。この日本の選択が、世界の平和の希望といえる。もし日本が攻撃能力のある国になれば、世界がまた大きな戦争を迎える可能性が高まる。世界平和は、日本以外の国にはなしえない状況に進んでいる。アメリカは自国優先の思想がむき出しにした。そもそもアメリカは正義を唱えながら、一国主義で来た国だ。アメリカには平和主義の人たちもいる。その平和勢力が弱まってきたのだろう。日本も平和勢力の衰退の傾向が見え始めている。それがアベ政権がでたらめをやっても支持されている原因であろう。いよいよ、日本は岐路に立っている。

 

 

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