小田原一人暮らしは快適
ここは天井の高いギャラリー。正面の絵は恩師春日部洋先生の絵。油彩画である。右下にある白い山の絵は、頂いた菅野圭介氏の絵だ。
一人暮らしが始まった。実に快調である。朝4時に起きて朝からガサガサしていても誰の迷惑にもならない。コーヒーを入れながら、大体2日分の食事を仕込む。今日であれば鶏の骨付き肉を入れたキャベツ煮込みである。その前が白菜入りビーフシチュー。さらにその前が、大根とカブのおでん。料理というほどのものではないが、勝手に美味そうに作る。コーヒーを入れるお湯を沸かしながら、あれこれ小さな寸胴鍋に仕込む。以前は大きな寸胴鍋に仕込んでいたのだが、今はさすがに小さい寸胴にしている。つい作り過ぎる。あれこれ放り込んで、温めて煮えたら、保温の箱に入れる。ここで6時半ごろまで入れて置けば出来上がっている。ご飯は玄米かゆである。これは電気圧力鍋で炊く。水加減は1合半で3号分入れる。これで好みのおかゆになる。どれもコーヒーを入れながら、手早く仕込む。これが2日分の食事の準備なのだから、楽なものだ。と言って、日に午前中の2食だから、4食分という事になる。4回同じものを食べる。
ギャラリーから、元の居間の方を写したもの。中央の太い欅の大黒柱が気に入ってこの家に住むことにした。この柱には牛小屋だった時の穴が埋められている。その上に下げてあるのが一弦琴。私の先祖には土佐一弦琴の名手と言われた女性がいたそうだ。左にある絵は星崎千恵子さんの絵。下にある棚は自分で作った、石綿さんのお父さんに頂いた樫材。
同じものを4回連続で食べるのだが、何でもない。飽きることはない。実にうまい。お腹が空いた分だけ食べるので、まずいという事がない。味付けも全く自分の好みのところが良い。食べるときに、何かを加えて変化をつける。キムチを加えるとこれがまたいい。おかゆには大体ザーサイである。キムチもザーサイも買ってくるのだが、これが美味しい場合と、食べられないほどまずい場合があるので、いつも違うのを探している。つまり、そのあたりのスーパーでは美味しいものが売っていない。野菜は渡部さんが良く呉れるので、有難く食べさせてもらっている。いずれ一人の食事ぐらい簡単なことで、時間を取られるようなことは全くない。これは高校生のころから50年以上の繰り返しだから当然のことだ。むしろ洗い物の方が面倒だ。できるだけすぐに洗うのだが、それでも日に日に油ぽい感じになる。洗剤は使わないからだろう。水でやっているのが問題かもしれない。あまりに脂ぽくなったので昨日は、お湯を使って洗った。
この大きなテーブルは、山北で伐採した欅で作ったテーブル。縞模様のテーブルクロスは母が手織りしたものだ。鶏の写真はササドリのオスだ。叔父が趣味で写真をやっていて、何かの写真の展覧会で受賞したものだ。遠く奥に見える縦型の絵は、震災後の海の絵だ。苦しかった時の絵。籐の椅子が2つあるが、忍野の籐の家具作家の満仲さんが作ってくれたものだ。
洗濯も心配だったが、ともかく洗い物は直接洗濯機に放り込んでおく。目一杯になったところで洗う。これも洗剤など使いたくないが、一応洗剤を少し使う。洗剤を入れておいて、スイッチをいれる。いつの間にか止まっている。それを干すだけである。何かの合間についでにやる。大変なことはないことが分かった。週一洗濯くらいが良いが、4日に一回ぐらいやっている。そして、掃除である。これは案外に熱心にやる。なんとなく、掃除機をかけて、あちこち拭き歩いている。拭き掃除をしているとお寺のことを思い出す。掃除はきれいになるので気持ちが良い。
こちらは私の居室の入り口と、右側が玄関である。中央に並んだ四角い箱が、木鼓である。左にあるのが沖縄の大きな水瓶。その奥に三線をしまう箱。見えている絵はやはり震災の後やっと描いた海の絵。扉の奥の明るい部屋が生活している所。絵を描くのも調子が良い。やりたいこと、やりたいとき、自由にやれるだけー。飛んで行け、飛んで行け。AKBが唄っていた。何時もいる場所がこの家で一番日当りが良い。気持ちの良い場所だ。もとは母が暮らしていた場所だ。この一部屋ですべてやっている。将来入り口のドアに鍵をかけて、居室は普通は誰も入らない場所にしようかと考えている。私が小田原に来た時にだけ空ける部屋。他の部屋はどの部屋もみんなで使う部屋にしたい。家の中がどんどん片付いて、お寺のように何もなくなってきた。邪魔なものはどんどん外に持ち出している。今度これをすべて断捨離する。壊れた電化製品が何やかや10台ぐらいはある。これが捨てるにも面倒だ。まとめて廃棄処分の努力をしなければならない。上手く行くのかどうか考えるだけでも厄介である。