大相撲を裁くテレビの劣化
モンゴル力士懇親会で起きた、酔っ払いの暴力事件が、いつまでもいつまでも、面白おかしくテレビを騒がせている。ここに現代の報道の劣化が表現されている。それは想定される視聴者という愚劣な塊の存在を前提としている。視聴率を稼げるものは何でも盛り上げればいいと言う、特に民放局のくだらなさを象徴している。イライラ世相の反映なのかもしれない。裁きたい欲望が視聴者の中にある。それを刺激して盛り上げようという下心。コメンテーターを連れてきたり、元力士や、元相撲記者が登場しては、何が正しいかを力説する。そして今や貴ノ岩を聴取しなければ深層が分からないなどという、意味不明なコメントを叫ぶようになった。貴ノ岩を聴取しなくとも充分に状況は把握されている。被害者を相撲協会が聴取するなどという意味はどこにあるのか。この事件に関する調査は警察が行い、結論を出し検察に送られたのだ。相撲協会はそれに従えばいいだけのことだ。嫌だという被害者本人に何を聞こうというのだ。
テレビでは、八角理事長と貴ノ花理事との対立構図を面白おかしくエンターテイメント化して視聴率を上げようとしている。そして悪人を仕立て上げ、裁きを加えようというのだ。本来この問題を解決したいのであれば、静かに見守ることが一番である。当たり前のことだ。被害者を引きづりだして、さらし者にして、悪い方向に進むだけだ。まあ、大相撲だからまだ影響は少ないが、北朝鮮についても似たような面白がりをしている。北朝鮮問題を解決することは誰にとっても極めて困難なことだ。テレビの報道の大半は、長年北朝鮮が飢餓に苦しみ崩壊寸前であると、主張し続けていたのだ。もちろん政府の誘導もあったのだろうが、きちっとした調査報道が出来ないでいたのだ。そして、北朝鮮の暮らしはそれほど悪くなさそうだなどと言えば、視聴者の期待に反するとして、自粛していたのだろう。つまり、良いところだけを見せられて、騙されてるほど馬鹿ではないとしていた訳だ。そのくだらない面白がりの間に、核ミサイル開発が進んでいた。この取り返しのできない事態に入る前に、報道には何かできなかったのか。
報道は自分の観点を持てないでいる。公平とか、中立とか、神の様なあり得ない立場に立とうとしている内に、自らを失い、視聴率の上がることが良いことであるという唯一の下卑た価値観に寄り掛かる、拝金主義者になったのだ。それは期待されるものを追い求め、自分の観点というものを捨てたという事だ。大相撲暴力事件でもその為に完全に貴ノ岩聴取というそっぽに流れて行っている。どうすれば大相撲が良くなるのかという視点がない。大相撲という伝統文化の意味などとうに忘れ去った。北朝鮮のミサイルをどのように解決すればいいのかも、経済封鎖を唯一の解決策のように主張する愚かさ。このままどこまで進んでも解決する問題でないことぐらい理解しなければならない。問題は現状より悪くなっている。どうしたらいいかは確かに難しい。核廃絶が本質の解決である。核兵器禁止条約である。それを、除いた解決法だけを模索するから解決が無くなる。報道は政府の誘導に従い、経済封鎖で解決できると妄想を広めてはならない。
テレビは翻り自らのことを考えるべきだ。「東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)『ニュース女子』が2017年1月2日に放送した沖縄基地問題の特集が何故でたらめな放送になったかである。BOPの調査結果でそのでたらめの原因が明らかなになった。現状を知る前に、先入観と思惑があったのだ。そして政府を忖度する報道になった。自ら何も調査せず、現地にも足を運ばず。何を言えば、政府にも、視聴者にも気に入られるだろうか。そんな低劣な人間が、テレビ報道には多数存在するのだ。今でもでたらめ報道をしたキャスターは反省を示していない。こうして、テレビ報道は信頼を失う。政府を忖度しているのではないかという、疑いで報道を見なくてはならない現状。スポンサーを忖度して作っているのではないかと疑わなくてはならない現状。愚劣な視聴者を育てようとする現状。