アイドル傷害事件と元海兵隊員の暴行殺人の違い
元アメリカ軍海兵隊員の沖縄における、暴行殺人とアイドル傷害事件が並んで報道されている。並んでどころか、沖縄の日本人が米軍人にひどい目にあった事件を隠すように報道している。舛添問題や、アイドル事件をごちゃまぜにして、ごまかされてはならない。テレビ局には、アイドルオタクや、舛添公私混同は、面白おかしく取り上げる得意分野なのだ。しかし、沖縄米軍の暴行殺人事件をきちっと取り上げる能力ないのだ。政府の事件を小さくしたいという気持ちを忖度して、なるたけ報道しないで起きたいという気持ちが表れている。これが報道規制の姿だ。幸い、舛添氏やアイドル事件が起きてくれたというので飛びついている。この両者の意味は全くに違う。どちらも犯罪ではあるが、米軍人の犯罪の意味は、日本の統治と独立にかかわる、重要な意味を含んでいる。橋下氏は元米兵の殺人事件を米軍の問題にしてはならないと主張していて、全くそのセンスに驚く。米軍の問題にしないでどうしろというのだろう。企業の社員が犯罪を犯したら、その企業存在まで否定するのかというのである。
アベ氏は有効な再発防止策をアメリカに要求すると述べた。果たして具体的にはどういう方策なのであろうか。今までもこうした犯罪が繰り返され、再発防止策がとられては来たのだろう。しかし、有効な防止策がないまま、又事件が起きてしまったのだ。あるとするなら有効な防止策をぜひアベ氏に述べてもらいたいものだ。述べられるわけがない。それなら、口先だけでごまかすのは止してもらおう。いくら木偶人形でもたちが悪い。米軍が沖縄に存在する以上犯罪はまた起きると考えざる得ない。この恐怖を感じる暮らしをどう考えるのか。日本の安全に米軍をどうしても必要だというのであれば、沖縄に集中した配備を続けることは許されることではない。配備を集中したままにして、有効な防止策を要求するという事は、ごまかして通そうという姿勢なのだ。こんな事件を前にして米軍をどうしてゆくのかを議論することすらできない日本政府は、沖縄県民を守るという意思がないという事になる。
ここでの犯罪の根源に、沖縄駐留米軍という特殊な存在の意味が有ることを見落としてはならない。米兵にしてみれば、意味の分かりにくい駐留なのだ。日本人からは特に現地の人から嫌われ、極東の離島に島送りされたような気分になる者もいるだろう。軍隊という精神風土の悪い組織の中で、投げやりな目的の持てない暮らしになっている可能性が高い。外国に存在する米兵という立場は、なかなか複雑なもののはずだ。いつ戦場に送られるかわからない、海兵隊員なのだ。商売対象として以外は、嫌われやすい立場である。駐留米軍に所属する人間という性格を考えずにこの犯罪の意味を考えることは出来ない。それが当事者沖縄の住民の側に立った見方だ。この状況を変える以外に、再発防止策はない。米軍の度重なる犯罪も沖縄に押し付けて置けば、本土は安全神話という事になる。差別にもほどがある。
米軍に帰ってもらうしかないのだ。それが不安で嫌なのであれば、日本全土で均等に米軍を引き受けるべきだ。米軍の抑止力で日本の安全を守るという考えを捨てきれないのであれば、沖縄だけに押し付けるのはひどすぎる。こんな事件を繰り返す米軍基地を、引き受ける地域がある訳もない。どうしても米軍の駐留が必要というなら、無人島に行ってもらうほかない。現在進められている八重山諸島への自衛隊配備も同様の問題を含んでいる。自衛隊基地の米軍の共同利用という事で、必ず米軍の配備が行われる。日米安全保障条約が強化された以上、自衛隊基地は米軍の自由使用になるだろう。名目などいくらでも付けられる。そして軍事上の機密扱いになり、詳しいことは秘密保持法でガードされる。核ミサイルの八重山持ち込みすら、疑っておいた方が良いことなのだ。