小渕さんのお嬢さんと安倍さんのお坊ちゃん
小渕優子氏が不起訴だと言う。そして元秘書2人が在宅起訴された。そして、その検察の意見が小渕氏当人のこの事件へのかかわりが不明瞭で、確かな証拠があがらないという事だそうだ。色々言われているとおり、確かに本人は承知していない事なのだと思う。小渕家のお嬢さんにそんな俗な事はかかわらせないというのが、取り巻きの人達の意識ではなかったのか。そういう世事に疎い方が、ついこの間まで、自民党の次の女性総理大臣候補ともてはやされていたのだ。この人が少子化担当大臣の時の、答弁を思い出す。つまり世事に疎くてしどろもどろであった。よくもまあこれほどの人を、大臣にしたものだと思ったが、これほどの人だからこそ、次の総理大臣候補になるのだと思ったものだ。総理大臣は人形でなければ困ると言う人達がいる。言う通り動いてくれるのが一番だと考えている人達が、自民党やその背景となっている、保守層の利権集団に存在している、とみている。
安倍氏がまさにそうだ。安倍さんとこのお坊ちゃんは、使いやすい。これが何よりの選別要素なのだ。自分の考えがある等、全く困るのだ。口パク出来れば後はどうとでもなるという、演出家がいるのだ。安倍さんも、ときには地金が出て、下卑たヤジなど叫んだりする。予定原稿を忘れて言い過ぎたりする。今度の70年談話がそのいい例だ。近隣諸国だけではない、世界中からきちっと謝罪すべきという意見が出ている。安倍さんに言ったって無駄だ。原稿を書いているスタッフの判断である。安倍さんは謝罪など必要もないと考えているのは間違いない。その点では、ネトウヨと同じ程度の歴史認識である。だからネトウヨがやいのやいのと騒ぐのだ。所が、例えば、財界からのスタッフなどは謝罪をいれろと原稿に注文を付けているはずだ。当然、打算だけだ。商売の邪魔になってもらいたくないという一心だ。一方靖国系のスタッフは軍国化の妨げになる、謝罪などおかしいだろうとの主張。今盛んにその綱引きがされている。
世襲政治はアメリカの様な国でも起きている。韓国もそうだし、世界中選挙を行っても世襲傾向が強まっているようだ。むしろ最近の選挙というものが、世襲という事を導き出すようだ。政治に新鮮な期待が失われたという事の様な気がする。次は、独裁政治の時代が来ると言う事なのだろうか。誰がやろうがダメなものはダメだと言う諦めが強まり、投票率が低下している。立候補者も減少して行く。政治家というものが魅力のない存在になっている。政治家になった所で、大した事はできないという事が、明らかになり始めている。政治家が野望を失い、就職口の様な感じである。たいした利権が無くなり、儲からないから政治家には優秀な人がならなくなったのか。結果的に、実質的に安倍政権はある種の独裁なのではないか。集団運営で、言い成りの政治を行っている。新しい独裁政治の形なのかもわからない。麻生氏の言う静かな独裁への移行。
自分なりの希望と言えば、価値観の共有できるものどうしてで、共同することだと考えている。それもできる限りゆるやかな、共同体の形成。政治で社会全体を変えるような努力は徒労に終わる気がしてならない。世間の状況はそこまで悪くなっている。世界の方角は良い方には進んでいない。何処かでもっと悲惨な事が待っている気がしてならない。そんな悪い状況をただ待っているというのも嫌なものだが、せめて、逃げ道を捜そうということになる。それが地場・旬・自給だ。あくまで不二着地点の提案であり、価値観の共有できるものにとっての、生き延びる方角である。厭世的気分にさいなまれていると言いながらの、わずかな希望の提案でもある。そのわずかな社会的希望という点で、腹を立てる人もいる様だが、ともかく勝手にやってゆくという考え方なのだから、お構いなくお願いしたい。