地方に移住を考えた頃
黒姫山 10号
私は移住者である。39歳の時に丹沢の山中に東京から移住した。その5年くらい前から移住を考え始めていた。場所探しを始めたが難航した。生まれたのは、山梨の境川村の山の中の、自給をしていた山寺である。山の中の暮らしに憧れながら、東京で暮らしていた。絵描きになろうとして、学校に勤めていた。年に5回も個展をやる様な暮らしをしていたが、絵描きに成れそうにもなかった。商品絵画としては限界があった。新規まき直しをしたいという思いで、遠くのどこかへ行きたい。と言うくらいの気持ちで、あちこちを探し回っていたのだと思う。そして、縁があって丹沢の山中で暮らすようになった。そこで13年暮らした。こうした経験は参考になる所もあるが、あくまで私と言う人間の個人的な体験である。一般論などない。誤解を生む所もある。生きると言うことはそれぞれが、個人的な結果を体験することになる。自分がこんな暮らしをしてきたので、移住希望の沢山の人に出会った。また、山の中で暮らしている人ともずいぶんと接した。特に新規就農者の人には具体的に接した方だろう。その経験でも、多種多様といえる。
移住希望の若い人が沢山いる、と新聞が単純に書いている。どうも変だと思って、その基に成るアンケートを読んでみた。そんな単純な結論は出さない方が良いと思えるデーターである。私なりの実行した体験を整理してみる。場所探しは長期にわたって熱心にした。自分の気分が良い場所を探した。肌感覚だけだ。仕事があるとか、家があるとか、地域の人はどんな人か、気候がどうか。そういうことを考える前に、その場所が暮らしたいと感じる場所であるかを、自分の身体が感じるかどうかを確かめた。絵の道具を持って出かけた。たぶん日本全国歩き回った。ここはと思う場所では、夜寝てみた。車が無い。運転ができない。こういう状態だから、リックを背負って歩いた。その結果、自分にあった場所が、山北の山の中だった。暮らしが立つということもとても大事なことだが、自分がそこに居たい場所を発見するということの方が、さらに大切である。見つけた場所は、やはり生まれ育った藤垈とよく似ていた。
暮らす場所の条件としては、水があること。道路があること。後のことは何とでもなる。道路は細い舗装道路があった。1時間近く山道を登る不便な場所だった。移住するにあたっては、そこで自給的な暮らしができるとは思わなかった。ただ、自給生活と言うものが、自力で可能なのかを試してみたかった程度だった。すべては始めてみなければわからないものだ。住み始めた土地が、人間を動かしてゆく。住む前にどれだけ考えた所で、その通りになどなるものではない。自給を最初から考えていたら、また違った場所を見つけたかもしれない。自分の肌に合う場所に住んで、心機一転絵を描こうと思い詰めていた。その土地の条件が、自給の暮らしにのめり込ませる魅力があった。自分を変える大きな契機になった。自分が変わることで、自分が絵で何をしたかったのかということが、見え始めたのだ。
好きなことを見つけると言うことこそ一生の仕事だ。このことは何度か書いたことだ。5年で開墾して田畑を作り、食糧自給が出来るようになっていた。しかし、この頃はまだ学校勤めを続けていた。どんな暮らしであれ、月に10万円ぐらいの収入の確保は条件である。学校勤めは東京まで行くのだから、何とか家で最低の収入を得たいということで、養鶏業を始めた。養鶏を業でやるのは、大変ではあったが、出来ないことではなかった。何でも工夫である。生きることは大変だが、やってやれないことはない。元気で、何でもやる気なら、必ず仕事はあるものだ。問題は好きなことで収入を得ることができるかである。好きなことだと、腕が上がり、物に成る。