農地を守るということ
西伊豆 10号 同じような岬が繰り返して現われる。西伊豆の集落はどこか取り残されたようにある。
農地を守るということの方法に、花でも植えておき、いざということに農地に戻せるようにと言うことを、日本経済新聞の編集委員吉田忠則氏が提言として書いている。日経の中で農業分野を担当しているらしい。経済新聞の記者だから仕方がないことかもしれないが。いざという時に田んぼに戻して、お米を作るためには、水路の維持だけは最低でもしておかないとならない。小田原では、水路の管理が危機的な状況にある。小田原市の所有する水路であっても、行政には管理できる人員も費用もない。地域に水田が減る中で、地域に水路の維持管理まで、作り直すことのできる人は少なくなっている。一度失われてしまった水路を戻すことは、ほぼ不可能である。私の家の前にあった水路跡も、今や住宅が出来道路になってしまった。こうなれば、下の方で水を使いたいので直したいとしてもすでに不可能になっている。こういうことは、至る所にある。維持されている水路も相当に危うくなっている。
いつも思うことだが、農地と言っても作物によって、様々な維持管理がある。いざというときには、小麦を播いて、パンを食べればいいだろうということになる。確かにそれしか食べるものがなければ、戦後の食糧難時代のように、サツマイモを作るということもあり得るわけだ。しかし、水田のほぼなく成った沖縄のことを考えると、沖縄にもし水田があれば、沖縄の柔軟な自立が考えられる。そこまで農業を犠牲にして、日本の原風景を壊して、日本人はどこへ行くことになるのか。第一花を植えておけば、農地が維持できるとしても、一体どこの誰にやれというのだろう。草刈りを一年やってみたらいい。日本の農地と言うものは、適期に5回草刈りをしなければ、手に負えない藪になってゆく。条件が良いから、農地になった。しかも、良い土に育て上げられている。これを放棄するれば、花の種でも播いておけば、維持されるだろうなどと言う考えは、百姓からは絶対に出てこない。
永続農業を守るためには、頭を使わなくてはならない。先々5年くらいの循環を構想しなければならない。何年に一回、緑肥作物として、菜の花を入れるのも、レンゲを作るのもいい。ひまわりだっていい。しかし、レンゲの後どうするのか、ヒマワリが枯れた後どうするのか。常に耕作しているから、農地は農地として育まれ、作りやすくなる。まして、田んぼは特殊なものだ。いざという時に田んぼに戻す為の方法を考えることはできる。休耕地としての田んぼの維持法は、それなりの手入れが必要である。水路の維持も、川からの取り入れ口の管理も、それなりの方法と設備が必要になるだろう。すべてはその上でのことだ。そんな経費のかかることを、休耕にする田んぼの為に使う費用は誰が出せるのだろう。なんとなく、里山のお年寄りがやってくれるだろうぐらいの甘えではないか。一人が70ヘクタールの田んぼをやらなければ、農地の維持できないというくらいの深刻な状況の中、この先どうしたらいいかを考えているのだ。花を植えろなど適当なことを聞くと腹が立つ。
まず、主食のお米に関しては、輸出入の工業生産品とは別扱いする。これは国の安全保障からも、日本と言う国の、国柄から言っても当然のことだ。自動車を売りたい。その方が日本経済の目先に良い。こういう日本の輸出企業と、外国からの要求で、譲っては成らないこともある。田んぼを守るためには、継続がどうしても必要である。しかも水系としてまとまっていなければならない。守るべき田んぼを決めることだ。守らないでもいい田んぼは花でもなんでも植えればいい。すぐ荒れ地になるだろう。日本経済新聞が、日本の国柄を譲ってもいい、瑞穂の国を捨ててもいいというのであれば、日本人がどんな民族に成るのが良いと考えているのか、日本の将来像の提言した上で、農地に花を植えるように提言してほしい。ただ儲かればいいというのでは、国は滅びる。儲からなくても、ご先祖に見守られ、子孫の繁栄の為に、ふるさとを維持するのが、瑞穂の国の魂であったのが日本ではないのか。