エネルギー政策に関する意見聴取会
政府が広く国民から意見を聞くという事で、各地で意見聴取会を行っている。これがあまりにひどい状態なので、批判が噴出している。このやり方を見ると、政府が国民に意見を本気で聞くなどという経験がないもので、結局は意見を聞いたという、通過儀礼のようなつもりで失敗したのだろう。こういう所にも、官僚の協力がないという事が見えてくる。ともかく最悪の形態で進行している。形式主義もここまで来ると、笑ってもいられない。政府にしてみれば、原発を再開するという大前提がある。どうやってそこにこぎつけるのか、天順だけを考えている。その為にいよいよ、まずく成っている。この意見聴取会は、国民の希望者は抽選で誰でも参加出来る。3回目が名古屋で行われた。と言っても、2030年の原発依存度を0%、15%、20~25%とする政府が示した三つの選択肢について、それぞれ3人、計9人が賛成理由を説明したにすぎない。
こんなことをして、意見を聞いたという事にしようという魂胆が、怖ろしい。、馬鹿げた政府もあるものだ。国民がいら立っているのは、ごまかしてすりぬけようという、姿勢なのだ。解決にみつけて事を進める手順を知らないのだ。どこまでも、ぐずぐずしていて、1年半後の暑い夏が来て、電力が足りなくなるまで、何の手だても打てないで、仕方がないから、原発を再開しますという結果。無策の政府にいら立っているのだ。原発を再開するのが行動とか、実行ではない。そこに到るまでの政治的判断の積み重ねがないという事では、政治的な暴走である。大きなエネルギー政策を示す事が最初におこなうべきことである。そしてそこへの道筋を立てることだ。原子力の依存度だけ問題にすること自体が、歪んでいる。こんな形で国民として何を意見すればいいのだろう。エネルギー全体に意見を述べさせてもらわないと意味がない。
この意見聴取会に、電力会社の課長だとか、原子力委員会とかにいた人とか、そう言う人が出てきて、20~25%の意見を述べていることが分かった。多分応募してくる人の中で、高い原子力依存を望む人というのは、関係者が多いということが分かる。利権構造で原子力が推進されてきた、一つの証である。多分、関係市町村の人というのもいるだろう。原発開発企業も意見が言いたいだろう。原子力村の住人ならすべてが意見を言いたいに違いない。こんな形で意見を聞くこと自体良い方法には思えない。急遽、電力会社の人は外すことになったらしいが、その理由もまた根拠が乏しい。、公開で横並びで意見を述べてみて、どれほどよい意見があったとしても、その意見の尊重仕方が分からない。それくらいなら国民アンケート調査をしたらどうだろう。確率的に意味が出るだけの本格的なアンケート調査をする。
もし本気で国民から意見を聞いて尊重しようというなら、国民投票をすべきだ。それくらい重要な問題である。何十万人がこの暑い中、原発を止めてもらいたいと抗議の集会をしている。ただ事ではない。このまま国政選挙になれば、良い選挙にはならない。山ずみの政治課題と、原発問題が、ごっちゃになってしまい、訳のわからないまま民主党は崩壊するだろう。そう言う事が日本の政治にとって良いことには思えない。原発をいち早く抜ける事が出来て良かったという、時代が必ず来る。再生可能エネルギーに転換したために、日本が再生で来たという時が来る。しばらくは苦しいかもしれないが、それこそ米100俵である。次の時代に転換するために、必要な試練である。諸問題を先送りして、原発依存の道を選べば、そう遠くない内に行き詰まる。今が転換のチャンスだ。大震災がチャンスをくれたと考えるべきだ。