放射能の新基準
4月から放射能の新基準が始まった。お米は500ベクレルから、100ベクレルに変わった。ここでいうお米は玄米のことである。どこかで線を引かざる得ない。妥当な線引きになったと考える。後は測定を徹底して、100ベクレルを越えるものが出回らないようにすることだ。先日、Oさんから生活クラブでは、米10ベクレルという事だとメールが入った。消費者というものを良く表している。だから生協など信頼できない。生協はこの間、九州地域セットなど販売を伸ばしている。放射能基準を厳しくさえすれば、営業的に成績も上がる。Oさんはカリフォルニア米を推薦しているという意味で、わざわざアメリカのお米を届けてくれた。生協も外国産米を扱うかもしれない。生産者の私は、いよいよ痛めつけられる。何でこんなひどい目に遭わなければならないのだろう。喜んでもらえるものを作ることが楽しみだったのに。
最高の卵を生産しているつもりだった。それが、放射能に汚染された。たくあんをつくった。種の選択に始まり、干しかたの工夫、漬けこみに熟し柿を上手く使う。人にお分けする気にもなれない。放射能を含んだ食べ物を人に差し上げるということは、情けないことだ。喜べない事だ。白菜づけも、相当に美味しい。しかし、山ほどあり食べきれないが、人にあげることもできない。小麦粉もそうだ。お米もそうだ。何とも辛い。生活クラブの10ベクレルが、もし玄米なら、白米でいえば、ドイツ何やらかんやらの4ベクレル基準以下と考えていいだろう。それだって、カリフォルニア米の方がさらに低い。田んぼは始まる。田んぼを止めた方がいいということになるのか。人に嫌がられる、食べる気もしない。なぜ生産しなければならないのか。
そう、私は何があっても生産しなければならないと考えている。お米との一期一会である。そうして生かされてきた。そうして死んでいけばいい。受け止めるしかないと考えている。1ベクレルでも下げる努力はしなくてはならない。1ベクレルでも低いお米を子供達に食べてもらいたい。きっとまた腹を立てる人もいるのだろうが、小田原の生産物を食べる方がいい。瓦礫の放射能の問題もそうだ。送り火の松のこともそうだ。誤解を恐れず書けば、日本人の全体の寿命が疫学的に、1歳下がるとしても。カリフォルニア米の方がいいとは考えない。それは、回りまわって日本人の寿命を2歳下げる可能性の方が高い。食糧を自給するということは、総合的にそう言う事だと考えている。どちらを選択するかである。より安全なものへと、消費者が流れて行く。その結果農業生産が出来なくなる。田んぼが無くなる。地域社会が崩壊する。日本人が日本人で無くなる。
農業は無くしてはならないものと考える。日本人は水銀とヒ素を体内に取り込んでいる。世界のトップクラスである。それが日本の水土である。そういう食べ物を歴史的に食べてきた。それは、放射能と同じことで、敷居値のないリスクである。完全無欠な食べ物などない。リスクは総合的なことで、平均寿命に表れる。長寿国であるという意味で、日本の食糧はそうは悪くなかったのである。どこかで線を引かざる得ない。基準を100ベクレルにした事は、線引としては評価している。これで行くと普通に食べていれば、10ベクレル以下になる。ひどい事だが止むえない。農業を止めることの方が、リスクが高いと考えざる得ないからだ。放射能は1歳平均寿命を下げるかもしれない。そう言うひどい事故を起こしてしまった。最悪の事故を起こしながら、誰かが刑務所に入ったとは聞かない。まだやろう、輸出までしよう。こういう悪行が続く。
昨日の自給作業:苗土運び1時間 累計時間:3時間