「海辺のカフカ」「ノルウェーの森」村上春樹
このところ読書中毒である。小説をというか、新しい活字を山ほどブックオフで買わないではいられない。1冊105円、一回に2300円位を4回ぐらい買った事になる。1日1冊のペースで読む。村上春樹氏も、一チョ読んでみるかと買ってみた。長年、抵抗があった。気取ったベストセラー作家にみえたので敬遠していた。でもイスラエル文学賞記念講演のガザ攻撃批判で、少しどんな人なのかと思っていた。1949年、同じ年生まれのようだ。「海辺のカフカ」はなかなかの作品なので驚いた。15歳の人間がどう生きるべきかを考えるには、うってつけである。日本文学の伝統通りの、父親的存在の否定と和解。母性的なものによる救済。「カラスという少年」が何10辺も出てきて読みづらい、抵抗ある文体を乗り越えるのに相当苦労した。文体や活字や体裁を操作しようという辺りが、チャラチャラしている。10代の人はこういう感じだろう。
自分の影だからカラス、カフカは黒いカラスではないようだ。まるで窪川君と16歳の時河原ガラスのことで、議論になった事を思い出した。小田急が多摩川を渡るときの河原に、名前の分からない鳥が居たのだ。私はカワカラスだと主張して、窪川君はあんな小さいカラスはいないと主張した。カワガラスはカラスではなくスズメだ。そう言う知識で相手をやりこめるのが好きな子供だった。ただ自動車のウンチクなど、この人なんだろうと思うが、少年たちにはうけると思っているのかもしれない。それこそカフカを読む子供だった、私としては、15歳の時に読んでみたかった。62歳の今となっては、少々遅すぎた。大人になって失う前に読んでいれば。昨日、まだ小さいサトちゃんに、目の前に咲き乱れる桜が美しいか聞いてみた。実感はなく美しいと答えたようだ。私が桜を美しいという概念で始めてみたのは、6歳の入学の春である。たしかに、その年齢でしか見えないものを見ていた。
大抵の本がスタートは苦労するが。乗ってしまえば、一気に読めるものだ。この本は東京行きの小田急の中で2日かけて読んだ。嫌味ではあるが、したたかな本だと思う。二つの閉口する物語を、描き分けながら、巧みに行き来させる。読者の鼻ずらを引き回そうという魂胆。子供じみているのだが、なかなかの構図を確保している。15のカフカ少年の成長を描いていると言ってしまえば、実に単純なことになるが、この少年を支配する世界が、結構奥深いことが見え始める。さすがカフカを気取るだけのことはある。ケンタッキーのカーネルサンダースさんや、ジョニーウォーカーさんが出て来るのだから、お笑いの様相をしながら、深淵に切りこむ。生きるという事を、死の側から眺めているともいえる。多くの登場人物が殺され、死んでゆく。猫など切り裂かれて食べられてしまう。怖ろしい話だ。狂気が動物殺しから始まる。すべては生きるという事明確にしようと、仕組まれている。
「ノルウェーの森」はビートルズの曲名だそうだ。こちらの方は、狂気についての本だ。人間が病の中にいる時代らしい、恋愛小説。こちらにはそう感心しなかった。持って歩いているだけで、ファッションになると言われていた本とは思えない。こんな本を読んでいる事を知られたら、普通恥ずかしいだろう。庄司薫氏を思い出した。少年向き小説ということ、猫語がでてくること、音楽のウンチク。福田章二氏に戻ってから、今はどうしているのだろう。庄司氏の本は学生時代、その上手さにハマった。少年が書いたように見せかけようという、やり口にびっくりさせられた。その後書かないようだが、中村弘子氏が自分のピアノをバックミュージックに酒を飲んでいるんだからと語っていた。それが許される位の人だと思う。そう言えば、中村弘子氏の代筆をしているという噂があったが、どうなんだろう。
昨日の自給作業:苗土運び2時間 累計時間:2時間