医療について

   

少しふれたことがあるが、腕3里、足三里あたりに、長径10センチくらいで、盛り上がりが5ミリくらいある湿疹が1年以上出ていた。それがここにきて、やっと治ってきた。最初に気付いたのは、去年の1月ごろであった。何か虫に刺されたのかな、と思っている内にケロイド状の湿疹になった。これがしつこい湿疹で、治らない。最初は右腕の肘の下あたり一か所であったものが、左腕、両足と4か所の何故か3里のつぼと言われるあたりに、大きな湿疹が出来た。痒くて耐え難く、ヨブになったような心境であった。もし、3月11日を過ぎていれば、放射能の影響ではないかと考えてしまったと思うが、3月には相当悪化していた。その後、どうしても治らない。震災の不安と絶望感も加わり、どうにもならない感じが続いた。そのまま、1年が過ぎて、もう諦め気味であったが、この3月に入って急速に治ってきた。治りそうな所まで来た。救われた気分である。

原因は思い当たることも、浮かんでは消えで、結局のところアレルギー反応的なもので、年齢的衰えと精神的な不安の影響が大きいと思わざる得ない。この間、耐え難い痒さが続いていたが、こらえ続けていら立っていた。以前ひどい帯状疱疹が起きた時は、中井のシオン先生の所に行った。入院した方がいいと言われたが、薬は使わないでとお願いして、先生のハリ治療ぐらいで何とか耐え抜いた。それくらい薬が嫌いだからだ。シオン先生なら、薬を厭だというようなわがままを聞いてくれたからだ。しかし、今度はついに病院に行かずに、耐え抜いた。何故そこまで医療を遠ざけるかと言えば、医療制度に対する不信がある。今の保険制度は、全くおかしな制度だ。おかしい制度は、どれほど苦しくとも受けたくないという、突っ張った気持ちがある。一つには、医療の点数制である。熱心で時間をかけ患者の話をよく聞き、良く説明する先生が、儲からないように出来ている。

工場のように、患者を流して、処理して行くような病院が利益が出る。名医であっても藪医者であっても、受信料は同じである。絵描きで言えば、マチスの絵もわたしの絵も同じという事だ。しかも、わたしのように医療は極力世話にならないと決めているものも、保険料だけは取られる。そのお金が正しい医療に使われるなら、まだましであるが、どぶに捨てざる得ないような薬の山になると思うと、我慢がならない。国全体の医療費は天井知らずである。このままではだめだ。医療制度を医師と厚生省官僚に任せてきたことがおかしくした。医療は基本自己判断である。自己判断できる材料を提供する。そして、予防する。予防のため生活を正したものが、報われる制度にする。例えば毎日の体重を計る。これだけでも何かが分かる。いくつかの材料を決めて、実行し整えた人には、医療費の減額をする。

今回の湿疹は、自分の身体の変化の予兆だと思う。こうしてあれこれ衰えて、死にいたるのだろう。生き物はすべて、そういうものだ。病というものは、しるしである。現われである。受け入れるだけの覚悟も、あるのかどうか分からないが、正面から考えた方がいい。現代の医療はとても進んでいる。父も母もその恩恵で、多分5年づつは長生きさせてもらった。その意味で心より感謝もしている。しかし、もしかしたら、違う形で病気に対応できていたら、10年長生きをさせてあげられたかもしれない。何故4か所に1年以上湿疹が出ているか。この事が何のしるしなのか、結局は自分自身以外には分からないことだろう。何かを気付けと言われている気がする。いずれにしても、3月11日が来れば治るのではないかと思っていた。不思議なことに治ってきている。これはいったいどういう事だ。思い出したくもない日なのに。

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