原発事故収束宣言

   

余りの事ではないか。こんな状態で事故が収束の訳がない。まだメルトダウンした炉内の様子は不明確である。事故原因も明確でない。12万人が戻れず避難生活を続けている。戻れない広い地域があると言う事だ。収束どころか、社会不安は増大している。放射能による海洋汚染は相変わらず繰り返されている。あんなオイルフェンスで放射能が防ぎきれる訳がない。山からの流入水による、お米の汚染はこの秋に起きた原発事故の続きだ。ここで事故を収束したと言いたくなる気持ちの中に、原発事故と向き合おうとしない、野田政権のどうしようもない姿勢が表れている。言葉でごまかそうとしている。収束したと言えば、収束できるとでも思っているのか。安全であると言えば、危険なものまで安全になると思い込んでいる。かのようである。そうした科学的に掘り下げない態度から、稲藁の汚染を見のがし、今度は水からのお米の汚染を見落とした。

事故は原因が分からない間は、終わりではない。これから40年かけて、原発廃棄処分をしなければならない。その方法すら見えていない。格納容器内部の現状すら分かりもしない。それでも終息を宣言する神経が、図太いのか、無神経なのか。戻れないという現状が見えてきた、周辺に暮らしていた人たちの悲しみは、どこまでも深くなるだろう。東電と政府が行ったことは、国民を欺いた犯罪である。ある意味の洗脳教育である。今回の収束宣言に現われた姿勢はその延長である。犯した罪の深さを認識しているなら、こんな状態で収束したなど言えるものではない。300キロ離れた小田原久野でも、農業者は苦しみの中にいる。お茶畑を必死になって除染している。しかし、暫定基準値の500ベクレルから、お茶は注いだ状態の飲料として10ベクレルに変わる。一般食品は100ベクレル。と一気に基準が変わる。それでも不足だと言う、人が大半であろう。来年のお茶がどうなるか、農家は測定の都度一喜一憂している。お米もむしろ来年の方が深刻になる可能性がある。

何が収束だ。どじょうでなく、カエルの面だ。はらわたが煮えくりかえる。怒っていいことは無いので我慢するが、何故、これほど無能な政府なのだろう。嘘やごまかしを続けてきたことで、風評被害を広げ、日本中を不安に陥れている。政府のやっていることは、飲酒運転で逃げ出した犯人のいい訳のようだ。命を救うことが何より重要である。パニックを避けるためとか言いながら、まだごまかしを続けている。事故は終息などしていない。この段階で収束とすること自体、事故の見極めが出来ていない事を表している。このごまかしは実は、次の原発再開を目指す、第1歩であろう。今回の事故でも、まだ懲りずに経済優先である。原発輸出を目指すための布石である。ベトナムの人達に原発の始末に負えない真実を伝える必要がある。生み出される死の灰の処理すら、全く見えていないのである。

事故が収束するとは、冷温停止だけではない。周辺地域が、本来の安心して暮らせるレベルに、原発の状態が収まった時である。まだまだ放射能汚染水が漏れる。放射能廃棄物の始末は目安も付いていない。海洋への汚染も、臨時のフェンスのレベルのままである。福島の河口付近の空間線量は増加の傾向にある。曖昧なまま収束を宣言する態度は、国際社会をそうした口先でごまかせると考えている愚かさを、世界にさらしたことになった。まずます信頼されない国家になった。あのお隣の最近死んだ独裁者の国と同じに見られているだろう。飢餓は無いが、腐った中で暮らしている愚かな国民。収束という言葉から、転進と言う言い変えが思い浮かぶ。将軍様は収束したと考えましたので、後は責任を持ちませんが本音。この国の政治は腐り切っている。つまり、選挙民もそうなんだろう。私も腐っているということだ。ああ情けない。

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