自給自足は出来るのか
それなりの数の人が、自給自足がやれるならやってみたいと考えているようだ。嬉しいことである。有難いことに、このブログもそのつもりで読んでくれる人もいる。失業して、農業が出来ないかと考えたという人が、先日も訪ねて見えた。職業としての農業は極めて難しい。農産物を販売して勤め人の給与を得るということは、よほどの能力と条件が必要になる。農業を仕事として、出来る人はスーパーマンである、と話した。そうした常識から農業を考えて、自給自足など無理だと思う人が普通だと思う。私もそうだった。時々書いてはいると思うが、再度自給生活の条件を整理しておく。例えば、自給生活には鶏を飼うと、合理性がある。それだけでもう無理だ、と思う人がおおいいのだろう。日本の社会には、鶏を飼う条件がない。それ以外にも農地の問題等、社会自体が自給自足的に暮らす人を制限する仕組みがある。電力が独占であるように、食糧生産も農業者の独占体制である。
食糧の自給自足は可能である。一日一時間の労働と100坪の土地があれば可能である。4年間毎日、自給の為の労働時間をメモしているので、参考にしてもらえばいい。この時間で、自給自足分の倍以上の農業生産を上げている。少なくとも小田原と違わない気候、土壌なら一般的には可能である。条件を先に書いておけば、相撲取りではないが「心・技・体」である。身体を一定動かす事ができること。当然だが体力が最も必要条件。年齢でいえば14歳から70歳ぐらいの体力が必要。次に自給の農業技術が必要。難しいことではないが、ある程度の知性が無いと技術は身につかないようだ。この技術は学び理解する必要がある。そして心である。農的な暮らしが好きであるということ。精神論ではなく、身体を動かす仕事は身体で覚えて行く。好きでやっていると、日々が吸収であるが、嫌いだと多分苦しいだろうから身につかない。個人の側では、以上が条件である。
具体的な必要量と面積。米は月に5キロ。小麦は1キロ。大豆は、500グラム。野菜は、庭先で可能な量、鶏卵20個、鶏肉時々。普通の人はこの程度は最低食べる。田んぼで年60キロのお米を作るには、30坪あればいい。大豆はその畔で作り、麦は裏作でやる。野菜も30坪で何とかなる。小さくともハウスが欲しい。鶏は1羽。これは理屈であるが、一番狭い自給の面積は、100坪である。それで鶏も飼うことが出来る。鶏が作り出す肥料で、充分田畑の堆肥が出来る。夫婦と子供2人なら、1反1000㎡の面積があれば可能である。労働時間は、お父さんだけが働くとすれば、毎日食糧の為に2時間は働く必要がある。これは週末に集中させるなら、2日農作業をする、土日百姓でも大丈夫ということになる。東京に努めているお父さんが、通勤しながら自給自足をするということは現実にあることなのだ。農の会にもそうした暮らしを志向している家族が何家族かおられる。
以上のように誰にでもできる条件はある。理論的にはマイクロ水力発電でエネルギー自給は出来る。しかし独占を守るための法の壁がある。農業も同じことで、法の壁のほか、様々な日本の社会の伝統的壁が存在する。その壁は、必要で出来た壁であり評価すべき壁なのだが、地域の農業の状況変化があまりに大きく。法的制度も、地域のあうんの対応も、めまぐるしい変化の途上にある。よって、同じ足柄地域でも、行政により、人により、地域により、同じことにはならない。個々の事例により異なるが、熱意があれば切り開ける性格のものである。地域で新しい人が農作業を始めるということは、気掛かりな面も必ずある。まず人間しだいである。協力は出来る限りさせていただく。この地域のことであれば、情報の提供もできる。