日本人の消滅

   

日本人が居なくなる。日本の山里地域は、このまま行くと人が消えて行く。都市に人口はさらに集中し、日本の文化を持った日本人は消滅し、世界共通人が大半となる。それは50年か、100年ぐらい先のことだろうか。絶望的な思いにとらわれる。何とかこの流れを食い止めたいと思い、暮らしを深めたいと生きてきた。そして、62歳になった。でせいぜい、後20年で何が出来るのか。極めて難しいだろう。この先しばらくは、転がり落ちるだけ落ちるのだろう。伝統文化ではないが、やらせてはもらえるだろうから、継続していれば、また日本人というものが再評価され、補助金でも付けて、日本人村、人間国宝日本人ということに成るやもしれず。じつはTPPのことを考えると、それくらい考えの開きを感じる。国際競争の中で、競争に勝つことを唯一の道と考えて、しゃにむに競争の勝利を求める資本の論理。一方に、それとは対極に存在する、日本の農本の思想。

柳田國男が椎葉村で視た、日本人の暮らし。日本人の幸福感。日本人の生き方。それから100年細々と日本人の中に残っていた魂の感性が、失われ続けた。長い戦争でも失われなかった日本人が、いよいよ居なくなってゆく。子供の頃の藤岱の離れたお隣には、ヨシアキさんと呼ばれた人が居た。そのお父さんは天狗のお弟子さんだったそうだ。甲府まで買い物に一時もかからず、行って帰ったそうだ。ヨシアキさんはいちおう農家ということで、畑仕事をしているのだが、実にのんびり働いていた。休み休みというか、休んでいる時が多かった。空を見上げては、「良い御天気でごいすら―。」等ときせる煙草をふかしていた。お寺の仕事に来ている時だけ、サボってそうしている訳ではない。自分の畑も同じスローモーである。家に帰れば食べるものが無いだろうと、おばあさんが「今晩はよばれろよー」ということで、家族でお寺で食事に来ることもある。

日々の暮らしが幸せ感に満ちている。生きることは何かということを考えると、いつもヨシアキさんを思い出す。一間の、畳もない部屋に8人が暮らしていた。私と一番仲良く遊んでくれた隣人である。今でも絵を見に来てくれたりする。日々を充実して、不安感無く暮らす。こうした、ささやかであるが、原点のようなものが根こそぎ失われた。風呂を今日はわかすと言えば、薪取りに行く。薪が無ければ、風呂を呼ばれる。子供6人は全員中学を出て働きに出た。成績がとても良かったけれど、それぞれ手に職を付ける道を選んだ。先日、町田に暮らしているその一人に会ったら、諏訪の方で、子供たちの農業塾の指導をしているという。日々生きることすら大変な農家で育ちながら、農業を嫌って居なかった事に感動した。ヨシアキさんの幸せそうな毎日は、子供を農業嫌いにしなかった。ヨシアキさんは晩年はお茶の行商をしていた。動ける間は働いていた。お会いすると、「出さん帰やしたか、ゆっくりしなって。」と懐かしんでくれた。

何故、ヨシアキさんが満足して暮らしていたのか。あの感じは伝えることは難しいだろう。椎葉村でご先祖に見守られながら、生きる充実。ただ暮らしていることそのものが、深い価値を持っている。人間は上昇しなくとも、人を打ち負かさなくても、大丈夫な生き物だ。TPPに象徴される、国際化することで遅れまいとする日本社会。そして日本人そのものが消滅して行く。それはアメリカという、文化のない国家の世界同一化の価値観が、世界に広がるということなのだろう。経済以外の価値がないアメリカンドリーム。第一の開国以来、日本人は失われてゆく。遅れた野蛮なものとして、日本人を捨てて行く。田んぼが無くなった日本を想像できない。それはもう日本ではない。これは日本だけのことではない。朝鮮も、中国もそうした文化を大切に育てる。とことんローカルであることこそ、グローバルである。国家という権力でない、地域主義というローカルを作り出す。

昨日の自給作業:醤油の仕込み7時間 累計時間:10時間

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