TPP反対集会経団連へ
26日午後から夜にかけて、東京に居た。久しぶりのことだ。明治大学でTPPの対話集会があった。400人の人が集まった。山形の菅野さんや九州の山下さん新潟の天明さんと遠くの方々が、声を上げ集まってくるのに、小田原の距離で行かないというのはない。大勢の方が集まった。同世代の人が多かったが、一部若い人の発言もあった。中野さんが冒頭TPPについての解説。駄目なのは、国ではなく何もしなかったあなた方だと。ではそう言う中野さん、あなたはこれから何をするのか、聞いてみたいところである。農家の人たちは、農業をするのでそれはもう手いっぱいである。お医者さんの現場は今とんでもない状況に成っている。それはお医者さんが声を上げる余裕すらない。押しかける患者さんを前にして、まずそのことで手一杯な訳だ。農家も同じで、日々の作業に追いまくられてしまう。声を上げたくても、その余裕がないのが日本全国の、中核農家であろう。
中野剛志氏の「やることやらなきゃこうなるのは当たり前だ。」というまっとうな声を前にして、何からできるのかである。灰色の朝はもう来ている。ともかく経団連までデモ行進である。どうなる訳でもないが、やらないよりはいいだろう。明治大学のキャンパスから、グル―と回って、神田の古本屋街の大通りの車道を1時間ほど、大手町の経団連前までTPP反対の大声をあげながら歩いた。せめてもの精一杯の大声だけは上げて置こう。経団連では何の反応もなく。警備員が4名黙って立っていた。声明文を渡そうとしたが、無言で受け取らない。当然だろう。警備員が悪い訳ではない。受け取ったところで話の接点すらないだろう。農協のTPP反対の署名を今集めている。これも必要ではある。でも農協だけではだめだ。やはり統一地方選挙で、TPP反対勢力が勝利しなければだめだ。小田原の市会議員選挙で、候補者に聞こうではないか。TPPをどう考えているかである。まっとうな議員を選ぼうではないか。
大資本や企業はすでに、国を越えている。有利と思われるところにかってに行けばいいのである。企業の利益が国民の利益であるという幻想を捨てた方が良い。企業の利益はどこまでもその企業のものである。このグローバル企業という、国家以上の経済力のある存在が、さらに富を求めてうごめいている。国という単位をうまく利用しているにすぎない。各国固有の文化などというものも、商売にどう利用できるか程度のものにすぎない。国という枠が壊れて行くのは悪くはない。しかし、地域地域にある固有の暮らしをより深め尊重する、そういう前提でのことである。地域という単位は人間が、安穏な幸せ感を共有して生きるためには、壊してはならないものである。父や母や、そして祖母や祖父とともに生きている。見守られて生きているということは、失いたくない。
関税の自由化は、入口である。どう国と国の関係を作り上げるかである。EUのように通貨も、経済も、軍事力も共有を目指すのか。環太平洋が一国になるというのであれば、それはまた希望である。そこでは差別も、経済格差もないということが、共通の認識でなければんらない。同じレベルの暮らしが補償されるということである。医療でも、生活保護でも、同レベルである。アメリカ人もベトナム人も同じ生活レベルに成るなら良い。国家の方角の共有化なしの関税の自由化は、企業の都合だけのことだ。国という枠を取り壊そうという、理想に進むための道ではない。強いものがより強くなる仕組みだ。大きいものがより大きくなる仕組みだ。今のまま行けば、地域地域の固有の文化が消滅する道になる。