佐藤さんが死んでしまった。

   

市立病院に入院していた、佐藤さんが亡くなった。肺がんだった。佐藤さんは骨になって故郷に帰ることになった。それだけでも、みんなが良かったと安堵した。佐藤さんは不思議で、素敵な人だった。まだ、40代と思われる。初めて会ったのは、コッコ牧場である。コッコ牧場は杉山さんが、路上生活をしている人の生活再建の為に、農業分野で仕事を提供しようとしていた。ダチョウを飼いたいので、と言うのが最初の話だった。テレビで仕事に成ると放送した。それだけでダチョウを飼う気になるのが、杉山さんで次から次へと変った仕事を考えた。農業分野の狭間産業。それで、結局養鶏をやると言う事になった。一時期1000羽ぐらいまで増やしたと思う。その立ち上げのころ、良く協力で出かけた。一緒に小屋作りをしたこともあった。但し、入り口の条件が急坂の狭い山道で、苦労する場所だった。その小屋が一通り出来上がったころ、佐藤さんは小田原に現れた。

そのころ、城山にみんなのアパートがあって、ぎゅうぎゅうに暮らしていた。ともかく、大変な状態で暮らしていたので、佐藤さんはしばらくして、海岸で暮すようになった。佐藤さんは何しろ、腕がいい。土建関係の仕事なら、何でもこなす。仕事仲間にも評判がいい。みんなに好かれる。そういう人だから、仕事はある。アパートで暮らせばいいようなものの、そこは事情あってそうもいかない。一切そう言う詮索はなしで関わっているので、何も知らない。佐藤さんは海岸で暮らしながら、その収入から、コッコ牧場の支援をしている。月々の収入から、一定の割合で、コッコ牧場を助けている。驚くようなことを普通にしていた。コッコ牧場のほうは、またそこも移ることになって、早川の方に移った。その大家さんが事情を呑み込んでくれて、そのアパートに入った。いい大家さんだったのだが、コッコ牧場の方は早川から、さらに下大井の方に移った。

佐藤さんは結局そのアパートで小田原の暮らしを通した。コッコ牧場が早川を離れるころから、佐藤さんは謂わば定職についた。箱根の方の建設会社では、中心になるくらい働いていると言う事だった。そこでも、最初は手伝いに行ってその人柄や仕事ぶりで、忽ち、居なくてはならない存在になってしまった。一言で、好漢なのだ。無口な人だったが、人間的な優しさが漂っている。好漢とはこういう人のことだ。仕事を始めると、それは懸命にやる。どんな仕事でもえり好みせず、大変な所を率先してやる。見たところもいいし、今思えば映画のようだ。みんなが思う不思議は、何故これほどの人が、路上生活者になったのか。ふるさとに戻れない何かを抱えてしまったのか。もし、自暴自棄の期間があったとしたなら、何故、こうして立ち直れたのか。

ホダさん、の存在だ。ホダさんが彼を救ったのだとおもう。どこの誰とも判らない、佐藤さんを信頼して、一緒に仕事をした。そのことに、佐藤さんは本心答えた。そして、一人の人間を救った。あり得ないほど、すごい事だと思う。最後にはホダさんは自分の仕事を彼に譲るつもりだった。そのときである。欠ノ上の圃場をホダさんが、佐藤さんと一緒に見に来てくれた。この後の工事について、相談した。農業分野の工事は、農業を知らない人にはできない。ホダさんその道のプロだ。そのとき、佐藤さんは苦しそうで、悲しそうな様子だ。何か悪い予感がした。その翌日病院で、末期がんであることが告げられた。我慢強い佐藤さんは、苦しいことを我慢して、その日も働いていた。それから半年で、この世を去った。病院に行くと、佐藤さんは直って又手伝いに行くから、と明るく言う。あまりに辛くて、その顔を見れなかった。地獄を見て、神様になった佐藤さん。忘れることが無い人である。

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