18号台風の来襲
18号台風は小田原の稲作には最悪の時期に来ている。気が気ではないが、打てる手があるわけでもない。市役所の防災放送では、久野川の水位注意報のようなものを、午前3時に放送した。放送が良く聞こえたぐらいだから、おお風があるという状態ではない。現在、5時30分では雨はたいしたことがない。舟原の連続雨量が5時現在66ミリだから、災害が出るほどのものではないだろう。箱根方面は100ミリを越えている。台風の進路が小田原から少しづれてくれた。直撃もあるかと、心配だったが足柄平野は助かったようだ。伊勢湾台風の進路と良く似ている。進路に当る、地域もどこでも実りの秋だ。長野のりんごは急遽収穫したらしいが、いずれ、大変な事だろう。今年の稲作は、実りが不充分で、刈り時期を遅らせている農家が多いいと思う。台風で痛い目に遭うと、どうしても田植えが早くなる。
子供の頃、山梨で体験したあの伊勢湾台風の強風はすごかった。翌朝何軒もの家が吹き飛ばされた。いくらかしっかりした建物の、向昌院に沢山の人が避難をしてきた。そのお寺の建物も船のように揺れて、避難に来たのだか、お寺が吹き飛ばされないように、手伝いにきてくれたのか、分からないような状態になった。あの太い大黒柱がぎしぎし音をたてながら、揺れていた。お寺が倒れるようなら、どの家も倒れるのだからしょうがないと、本気でみんなが固唾を呑んで夜明けを待った。台風一過の翌日の朝のそのすごさと言ったらなかった。道はすっかり河原のようになっていた。御滝の森の大木が、軒並み折れてしまって、太い幹が積み重なり、歩く事すらできない。薄暗かったお堂の辺りが明るくなってしまったのには呆然とした。あのコースに17号は良く似ている。大きな災害が起こらなければいいが。
水彩人の展覧会を上野で開催していて、どうしても行かなければならない。鶏小屋やら、田んぼなどとても心配なのだが、どうしようもないので、幸運を祈って出かけるしかない。こう言うとき小田原はいい。東京に出るのに、三つの路線がある。小田急で行くか。東海道線で行くか。新幹線で行くか。昨日は朝は、東海道線が不通だった。最近、実におおいいのだが、「何々駅構内で人身事故が起きたため、運行を見合わせております。」これで、乗っていた電車が動かなくなった。何とか動くだろうと、15分ほど乗っていると、小田急線に振り替え輸送があるのでと放送が変わる。もう5分待っての放送では、すぐには無理そうな感じにかわる。新幹線で行くことにした。新幹線に変えたら、いつもよりかえって早く着いた。また、特急料金がかかってしまったが、仕方がない。
台風や大雨が来ると、管理されていない山が一気に荒れる心配がある。耕作放棄されている、急斜面の畑が崩れる事もある。多くの場合、集落の上が畑だ。小田原ではミカン畑が多いい。下に暮している集落では気が気でない。耕作されていれば、日々の管理がある。小さな石積みでも一つ崩れた所を直す。水みちになりそうな、所を鍬で少し溝を変えてやる。こんな事だけで、大きな崩壊が防げる。人の手が入らなく成ると言う事は、そうしたちょっとした気遣いが無くなることだ。人の住まなくなった家が、一辺に荒れてゆくのと同じことだ。日本人が手入れをしながら暮してきた、里地里山の調和は実に微妙なこと。落ち葉をはく、薪山の管理。畑の堆肥作り。道普請。ほとんどを僅かな人力の、永遠ともいえる継続。土木的発想との大きな相違。台風を受け入れながら、あきらめながら、暮させてもらってきた。山里の今現在の暮らしを思うと、17号台風の進路は、とても辛いコースだ。