水彩人展、はおもしろい。
水彩人展は6人の水彩画を描く者が絵の事を本気で話したいと言う、当たり前の思いから始まった。絵の会で、絵の事を話すことが避けられる。特に公募展において会員とか、理事とか、会長とか、偉い人の絵が、批評の対象になる事はない。そういう自由でない空気に嫌気がさして、始まった仲間の研究会であった。10回はやろうと言う同志的思いで、一致団結してやったわけだが、脱落した者もあった。それだけ厳しく、互いの絵を見てきたと言う事でもある。10回が終わり、さてどうすると言う所で、捨て身で、と言っても何も捨てるようなものもないのだが、顰蹙を買うような、誤解を招くような事でも、やるべきだと言う事が勝った。11回を開けるという機会を与えられたのだから、ともかくやってみようと言う気持ちだった。代表を小野月世さんという、素晴しい方が引き受けてくれることになり、11回展を開催する事になった。今更、新しい公募団体を作ってどうするのだと言う事がある。
簡単に言えば、まったいらな、平たい水彩画の研究会をやりたいだけなのだ。公募展というものが、都美術館という、器に合わせた絵を生み出した。日展作家の中には公募展の審査室と同じアトリエを作ったと言う人が居る。そんなこんなで、独特の宙に浮いた公募展的絵のようなもの。が産まれた。そんなことはどうでも良いのだが、器というものが、絵においてとても重要だと言う事。江戸時代につちかわれ、洗練された日本家屋という物には、床の間というものがある。異空間を生活の中に置く。神聖な場。そこは絵や書の展示場。あの掛け軸と言う独特の形を生み出した器。そして、襖と言う絵画的でもある建具。晴れの日の、屏風と言う間仕切りとも背景とも言える不思議な絵画。日本人が生み出した生活と、絵画の緊張ある、関係。
近代絵画は家具の装飾から脱しようともがいた。ゴッホやゴーギャンのように、命を搾り出すことで、近代的個性ある人間の精神を、絵画という形で、表現する事を目指した。暮らしの方も、一辺に変わって、床の間やふすまのある家など珍しい。そうして、絵画というものが美術館にあるものに変わった。いわば、テレビと映画館だ。テレビだった床の間の絵が、映画館の映画になった。映画館なら、相当きわどい映画も上映できる。ところが、もっときわどい映像というものが、インターネットなら流れる。テレビでは流れない、イラン国内の映像がインターネットを通じて流れる。公募展絵画とは、100号前後の、瞬時に判断できるような絵画。廃れるのも当然の事だ。水彩人では0号でも、ゆっくり正当に見れる会場を目指した。
絵画がもう一度生命を取り戻す場所は、内向的になる事ではないか。逆説的だが、絵画の生命は内に内に戻っているようだ。絵画が内と内で、ひそかに確認発見しあうような、個別的なものとして、命を永らえているような気がする。それに相応しい発表の場という物はないはずなのだが、個展と言う形で、あることはあるのだが、個展という物の位置づけも、見る力量というものがあればこそである。内向し、つぶやきのようにふと出た物が、あるいは苦しんで吐き出したものが、正当な反応を受ける可能性は先ずない。銀座の個展会場というような、花輪でも飾られそうな場所では、違和感がある。絵を描かない訳には行かない、各人の内面での必然性は、答えられることなく、その器を持たずに、彷徨っているのだろう。私としては、その受け皿に、水彩人展がならないかと思っている。