東京のオリンピック落選
まさか選ばれるとも思わなかったが、がっかりである。選ばれなかった事ではなく、立候補した愚かしさにである。南アメリカ大陸での、初めてのオリンピック。リオデジャネイロが選考されたことは、世界の良識を表している。日本人は世界からどのように見られているか。気にする民族である割には、本当の所を感じていない。結構好かれている等と、思っていたら大間違いである。日本人に対する評価は、あまり良いとは言えない。人種差別的に、日本人の順番を「しろ、くろ、きいろ」と発言した、フランス人が居た。「経済だけで目立ってきたけど、たいした絵描きがいないなぁー。文化レベルが低いよ」とパリの美術学校では正面から言われた事がある。他国に対する理解と言うのは、そんなものなのである。東京がオリンピックに立候補した事が間違えである。石原氏の独善的な考えの甘さによるとしか思えない。環境をテーマのオリンピックとの主張は、世界から見たら先進国の勝手な話なのだ。世界というものが見えていない証拠。
シカゴの方がさらに評価が低かった。アメリカのこの間世界で行ってきた事を考えれば、当然の結果である。アメリカもまさかこれほど人気がないとは思わなかったのであろう。しかし、アメリカのグローバリズムは実は強者有利の仕組みである。その結果が今の世界の混迷に繋がっている。オバマ大統領による、チェンジには大いに期待はするが、世界を巻き込んでの金融資本主義には、どの国も国内の経済の成り立ちを崩壊させられた。日本農業のここまでの疲弊もアメリカの、競争の論理だけの収奪的農業の結果である。今さえ良ければ良いという、即物的な経済優先農業。化学肥料の多投入。遺伝子組み換え作物による除草剤耐性植物。土壌の砂漠化を招く地下水の限度を超えた汲み上げ。その結果の低価格の作物の、無理やりの輸出。各国の循環型伝統農業の崩壊。アメリカの不人気にアメリカ人は日本人と同じで気付いていない。
日本が平和主義で行くためには、日本が好感をもたれる国にならなければ始まらない。いざと言う時には頼りになる国。困った時には助けてくれる国。こう言う国にならない限り、軍事力を当てにしない、国際平和の実現など到底出来ない。そういう努力がまだまだ足りない。足りないどころかほとんどないに等しい。そうした現われが、オリンピックの東京落選である。良い機会であるので目を覚ますことだ。国連平和軍への参加とか、NGOへの参加が、国際的義務の履行。などと言う前に、平和的努力を十二分にしてきたのか。このことが問われている。日本らしい平和的努力を示す必要がある。150億円も誘致にかかったと言う。今の時代、そんな無駄遣いをしている状況ではない。その費用がアフガニスタンの水施設の建設に使われるなら、よほど有効であろう。自分のためでなく、日本のためでなく、紐付きでなく他国の為に尽くすことこそ、平和的努力ではないだろうか。東京が選ばれるために行った努力など、立候補も出来ない国からみたら不愉快なものである事に気付くべきだ。
多くの元スポーツマン、メダリストがその好印象で東京誘致を盛り上げていた。それでも、東京での開催を望む声は増えなかった。冷静な国内の世論を理解してもらいたい。オリンピックがどうしても生で見たいなら、まだ7年ある。月々1万円ぐらい貯めれば、リオにまで行ってオリンピックが見れる。そのほうがよほど楽しくないか。東京オリンピックを契機に日本は変わって行った。その代わりようは、いいことだけではなかった。再度オリンピックという事物を、日本の新たな契機にしようというのは、少々違っているだろう。韓国、中国は確かにそうだった。今度選ばれたブラジルもそうなのかも知れない。日本が置かれた状況を冷静に考えれば、オリンピックが新たな社会の契機になるなど、もうない。25%のCO2削減の国際公約の方が、よほどの社会の方向性を示している。オリンピックに東京を選ばなかった世界の良識に感謝しなければならない。