秀明自然農法ネットワーク

   

初めてこういう組織があることを知った。昨日、そこの組織の一員である。高橋経久さんという方が尋ねて見えた。見学をしたいと言う事で、東京の方に用事があるついでと言う事で、金曜日でも見てもらった。帰えられてから、置かれたパンフレットでその方が秀明自然農法と言うところの方だと知った。岡田茂吉氏の系列のようだ。宗教ゆえか、様々に分流があり、ちょっとの違いが大きな違いと言う事で、岡田系列間の交流は閉じている。部外者には、一緒にやればいいのにと思う。私はMOA小田原産地支部の一員だ。総会ぐらいしか出ないが、部外者もいたほうがいいと考えて止めない。化学物質を使わない農業を方向とすれば、志にそう違いがない以上。違いを掘り起こすより、協力地点を捜した方が良い。

秀明という組織は無肥料無農薬という、岡田流の原則論にこだわって則っているようだ。それで、鶏を飼うというのは整合性があるのかどうか。鶏糞は、当然畑に入れない。田んぼにも入れない。それはもったいないこと。自然農法成田生産組合というところに見学に行った時も、鶏は沢山飼っているが、鶏糞は自分たちは使わず、他所の人に上げると言われていた。ここにはどうも糞というものを不浄な物という、思想があるらしい。これは地球循環からしたら、間違った考え方だと、自然界の循環の中に存在し、何万年も循環してきた、排泄物だ。不浄も清浄もない。偏在する事で、おかしくなることはあるにしても、不浄呼ばわりは可哀想だ。鶏糞を一貫して利用する農業を続けてきたが、問題が出たようなことはない。

そもそも畑という耕作が、自然の偏在の形の一形態だ。こうした偏在は自然界にも、様々ある。鶏糞だけで出来た島さえある。自給自足循環体系の中にはどうしても、鶏が必要だ。だから飼う。鶏を飼うけど、その排泄物は使わないと言う体系は、どこか怪しくないか。その不浄はどう循環するのか。餌にも動物質の蛋白は使わない。聞かなかったけれどそういう考え方に違いない。これも自然を観察すれば間違った見方であることに気付かないといけない。鶏は昆虫を食べて、蛋白質を賄う。そうしなければ、自分達の羽根を食べ始める。毎日卵を産むと言う事は身を削る事になる。それでもオカラ等の植物蛋白で蛋白を補えないか。など、妄想する人はかなり多いい。無理だ。人間と違う。菜食主義者が卵を食べるから、菜食の鶏の卵と言う考えになるようだが、鶏がこれではたまらない。鶏には菜食主義はない。そんな狭い視野の鶏は世界中に1羽もいない。食べれるものは何でも食べるのだ。

秀明の高橋氏は、特に鶏種の作出に興味をもたれていた。作出を考える時大きな方向性が大切になる。自然をどう考えるか。本来、鶏は赤色野鶏と言う年に15個程度しか産卵しない生き物だ。人間の都合で、毎日産卵するように改良してきた。そのことで、自然状態の赤色野鶏とは異なる生態になった。毎日卵を産むためには、その栄養分に見合うだけ食べなくてはならない。そんなことで本来のいい卵を産めるのか。ここに問題が生じる。つまり妥協地点の捜し方が、農業だ。人間の生業だ。自然と冠する類で、畜産を行うと、矛盾が噴出する。それは一応仕方がないにしても、養鶏にかかわる人間の思想に、つらい影響が生じる。

人間は好きにすれば良い。本人の意思だ。しかし、鶏の菜食主義は可哀想だから止して欲しい。人間の食べ物の為に、動物におかしなことをするのはフォアグラ生産となんら変わらない。動物虐待だ。菜食主義の鶏は、孵化率が低い。卵に力がない。死籠りになるはずだ。そんなことはないという人がいるなら、ぜひ試して欲しい。菜食鶏が産んだ卵で90%~80%を超える孵化率を実現できたら、私も反省し、考え方を改める。いずれにしても自然という名を冠する以上、自然を偏見なく見て欲しい。都合のいいところだけを自然から抜き出さない事だ。

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