石垣島、長生き暮らし
2025/12/17

石垣島で100歳まで生きるつもりで暮らしている。69歳の時に来たのだが、7年間が過ぎた。7年暮らしてみて、目標というのではなく、本当に100歳まで生きることが出来るかような気がしてきた。身体も心もずいぶんと楽なのだ。石垣島は長生き暮らしの聖地だ。
南の土地なのだろう。余り突き詰めないゆるい空気がある。「なんくるないさー」どうにかなるサー。その背景には、過酷な自然があり、生きることもままならない厳しすぎるような環境の島なのだ。余りに厳しい自然に対して、諦めるしかなかった。そして生きると言うことを諦めた。明らめた。
小田原に行くと、突き詰めずには入られない世界がある。ひしひしと厳しさが身にしみる。ついつい「テェーげぇサー」と言うことを忘れている。どうすれば解決できるのか心配ばかり、みんながしている。それにいつのまにか巻き込まれる。
そもそも生きることの解決などない。まあ、世の中に起こることのすべてに解決などない。いつも暫定解決である。本島のきちっとしている世界が好きな人はそれでやって貰えばかまわないが、島暮らしものには余計なちょっかいお断り。
しばらく石垣で暮らして、いい加減でなければ、通過できない困難もあると思うようになった。いい加減の方が長生きできる。ここが難しいのだが、生きる極意のようなものは、緊張すべき所は緊張して、緩むところは、ゆるみ切ることなのではないか。
100歳人間の調査というもので一番の特徴は、幸福感の高人が多いと言うことらしい。確かに辛い辛いで毎日を生きていたら、長生きは出来ない。日々の気持ちの問題が寿命への影響が大きい。何でも適度に食べて、よく身体を動かし、よく眠る。前向きな気分で暮らす。
長生きは好きなことを好きなだけして生きると言うことだと思っている。田んぼを作り、絵を描く。こればかりやっていれば間違いなく病気はどっかへ飛んで行く。田んぼは面白い。特に田んぼを作ることが面白い。その中でも天水田は最高に面白い。難しいから面白い。
昨日も田んぼの水をからに出来るか試してみた。淺田んぼに行ってどこまで水が引いているか。何のことか分からないだろうが、田んぼの周りも水位が高いのだ。つまり排水が出来ない。排水が出来ないのでは田植が大変だ。どうなることか。なんくるないサー
この工夫をしている。おおよそ方法は見つかっている。浅くなっていた田んぼの、代掻きをしてみた。土壌のすこし下がガタガタで、結構難しいと言うことが分かった。少しトンボも使わないとダメだろう。6セの田んぼだから、みんなでトンボならしをしないと。
仲間がいると言うことが良い。現在ゆるい枠での仲間の登録人数が、46人である。のぼたん農園を始めて、4年である。毎月1人増えた勘定になる。まだまだ増えて行くことになるに違いない。のぼたん農園は100人乗っても大丈夫。
今度養鶏を始めようかと思っている。鶏好きがぶり返してきた。最後の養鶏を始めて、研修をしてモラル。「やいま」と言う雑誌で、養鶏の研修をやる人を募集したいと思っている。各曜日3人までの枠で、募集してゆく。各曜日12時から4時までの4時間担当の曜日に3人の内1人は調整して、必ず来て貰う。
確かに田んぼも鶏を飼うことも大好きである。一応、日本一のレベルに到達したと自負している。それくらい好きだったのだ。そのあらましは本にした。私の田んぼの技術は、石垣島では通用しなかった。それでもう一度自学自習である。
養鶏はどうだろうか。石垣島でうまく行くだろうか。たぶん石垣島では石垣島の養鶏方法があるはずだ。それが自然養鶏のはずだ。石垣島の自然に合わせた発酵養鶏を作り出したい。それを探求することが面白い。まず、小屋作りだ。石垣島に合わせた小屋を考えたい。
ハウスを作る材料で作りたい。そのことに今触れると話がさらにそれていくので改めて書きたい。養鶏をやることも楽なことではない。のぼたん農園の大枠ができあがり、養鶏業にいよいよは入れることになった。鶏のいない、自給農園は考えられないことだ。
石垣島の長生き暮らしのことだった。養鶏を始めることも長生きの方法である。好きなことのやりたい限りを尽くしたいだけだ。そしてのその好きなことが、人のためにも成ると思っている。これからの世界。鶏を飼う必要が出てくるからだ。
鶏の飼い方を身につければ、自給農業が可能になる。自給農業を行うことで、自由が確保される。これはもう切実なことだと考えて居る。コンピュター革命。拝金主義と能力主義の支配。世界はこの30年悪い方角に進んでいる。
世界はだんだんには良い方向に進むのだろうと思っていた。所が、良くなるどころか、日本は危ういことになっている。資本主義が終末期に入ったと言うことなのだろう。誰かを食い潰さなければ成長できない資本主義。食い潰していた間には、気づかなかっただけの日本人。
いよいよ、食い潰される側に入り始めた。競争に負けると言うことがどういうことなのか見えてきた。そして焦っているのは、かつての先進国と呼ばれる国々。そして追いついた、追い越したと騒いでいる国にしても、その運命は危ういものに見える。
資本主義の次の経済を見つける以外に無いのだろう。そのためにはさらにひどい世界を経験せざるえないのかもしれない。次の新世界が、コンピュター革命後の世界にあることを願うばかりである。いくら早い転換だとしても、私が100歳になる24年後ではどうだろうか。少しは方角が見えるだろうか。
自分の出来ることを精一杯行うしかない。のぼたん農園の実現。私絵画の到達。そのことが私の出来ることであり、次の時代に役立つことだと考えて居る。そう前向きで生きることが、一番の健康方法である。自分に与えられた寿命を全うするためには、動禅体操である。
最後に日々行っている動禅体操を書いてみる。短縮版で15分。完全版で30分
100歳動禅体操
1,ヤジロベイ
2,背伸びしてしゃがんで
3,大の字呼吸
4,手をひら握っては開いて
5,肩を入れて背伸びしてストン
6,軟体ふにゃふにゃ
7,仏像に礼拝
具体的な動きは改めて書きたい。この体操は動かないで狭い場所でも出来る。すべて目を閉じて行う。半眼でも良い。半眼は見ていて見えない状態だから、かなり難しい。視覚に頼らず動くことが大事。禅堂の単と呼ばれる一畳の自分の座る場所で出来る体操である。
身体のどこかが、具合が悪くなったときに、その部分を直すために、一つ一つ出来た体操である。易しい動きで、私でも出来る動きである。心拍数が上がるようなことはない。静かなゆっくりした動きほど良い。改めて筋力を付けるという動きではないが、100歳で死ぬまで達者で歩いて暮らせる体操である。
よく寝て、よく食べて、良く動く。そうすれば自分に与えられた寿命を全うできる。それぞれに定められた命がある。それが何時間かは分からないが、生き物として決められているように思う。病気になったり、事故に遭ったりして早く断ち切られることがある。
運良く寿命を全うできれば、だいたいの人が100世は可能だと思う。渡井自身にも100歳は与えられている気はしている。ただし、それを全うするのはなかなか難しい。何も不老不死など願わないが、与えられたものを大切にしたい。石垣島ならそれが出来そうな気がしている。