トランプ氏を平和賞候補に
2025/11/19

高市氏の発言には驚いた。トランプ氏も驚いたことだろう。まさか、核実験を再開すると明言する大統領が、ノーベル平和賞を推薦すると言われたのだ。高市氏はおべっか承知で発言したのだろう。こうやって生きてきた人だ。こんな発言が出来る人は、今までの日本の総理大臣にはさすがに居なかった。
高市氏はしたたかな人だとは言える。見え見えのおべっかがトランプ氏には通用するとみているのだ。確かにトランプ氏ならば通用するかもしれない。ただ、それはもらえたときの話で、もらえなければ腹を立てて、馬鹿にされたと思うかもしれない。世界と対立している人が、もらえるはずがない。
アメリカべったりの日本の姿を、あえて見せつけたのだ。世界中がアメリカを遠ざけている中で、日本のこの態度は、少なくともトランプには気に入られると考えたはずだ。どう言う結果を生むだろうか。一番びっくりしたのは中国だろう。ここまでやるとは考えて居なかったはずだ。このスットンキョな高市氏を中国はどう考えただろうか。
次の唐突な事件は台湾有事に関する国会答弁で起きた。「中国が台湾を海上封鎖した場合に、自衛隊が集団的自衛権を行使する存立危機事態になり得ると、国会で答弁した。つまり、日本の安全保障が犯された状況。という日本政府の認識の表明である。ミサイル攻撃を行うと言うことだ。
「汚い首を切り落とす。」中国の総領事が恫喝した。さすがにこれは外交官の発言とは思えない、品位を欠いた発言ではあったが。そう言わざる得ないほど、配慮を欠いた高市発言である。高市氏がそう考えてきたことは分かっていたが、総理大臣として発言する意味を理解していたのか。
何をしでかすか分からないとは思っただろう。高市氏は日本人が待っている総理大臣像をよく分かっている。この馬鹿げた見え見えなことでも、平気で口に出来る人間を、演出している。今までにないいわば、参政党の議員かと思うような、見せかけである。演出だとみた方が良い。
この行き過ぎた発言が国民には受けると考えて居るのだ。その通りの結果が世論調査に出ている。内閣支持率が未だに、69%を維持している。国民は明確な意思表示を待っていたのだ。自民党の中道化を我慢ならないと、考えて居る。そこまで追い込まれた気分なのだろう。
高市氏は日本を危ういところに連れて行く可能性は大である。何しろ、維新の会と連立した以上、歯止めがない。歯止めどころか勢いが付いた。公明党を追い出し、維新の会を誘い込む。なかなか深慮遠謀の政治家とみなければならない。男尊女卑で世界のワースト社会と言われる国で、総理大臣にのし上がっただけの、何でもやる人間のようだ。
今まで甘く考えていたが、相当に危険な人物と考えなければならない。この人はどこかで容貌が変わった。何か大きな病気でもされたのかもしれない。どこかで大きな転機があったのだろう。若い頃はいわゆる、テレビの美人タレントだったはずだ。それが、同じ人とは思えないほど、今はテレビの悪役タレントのように見える。
成り上がるために何でもやる苦労されたのだろうと思う。それが、ヌケヌケとトランプノーベル発言が出来る人になったのだ。日本人には実に珍しい人だ。まるで女性トランプである。こういう人は特に女性からは嫌われるタイプだろう。
日本がいよいよ危ういという象徴の総理大臣になる気がする。日本破綻の引き金まで引きそうである。日本は緩やかな着地しか今はないのだ。もしこのまま行けば、憲法改訂まで持って行くだろう。何かしでかす前に、早く下ろさなければならない。
何故高市氏が現われたかを考えなければならない。学校に行きたくない子供達が増えている。私だって学校に行きたくはなかったが、我慢して通った。学校には行かないとならない。そう思い込んでいたからだ。今のように行かなくても良いということなら、学校には行かなかっただろう。
そもそも学校に適合しない発達障害のある子供だった。それでも耐えて通った。そういうことは生きていて多いと思う。今ではいやいやでも学校に通って良かったと思っている。人生の選択は難しい方を選んできた。その結果大分普通になった。
人間のこの辺の価値観の変化が、何かを変え始めている気がする。確かに、学校に行きたくない子供を無理矢理学校に行かせない方が良い。学校が嫌いなのに、無理矢理生かせれば、良くない。私は誰かに言われて学校に行ったわけではない。嫌だったけれど、学校には行かなければならないという、天の声のようなものが働いていた。
結局嫌なことでもやらなければならないと思うから、耐えがたい学校の勉強などいくらかはしたのだろう。そうでなければ家で鶏を飼うだけの暮らしだったはずだ。昔ならば、そんな百姓になったはずだ。
好きなことを好きなだけしていて良いとおもうが、やはり義務教育の学校には行った方が良い。それは我慢をすると言うことを覚えることになる。私は学校に通うことで、社会性を得た気がする。そうでなければ、まともな人間には成れなかった。
社会で生きていくと言うことはそういうことなのだと思う。仕方がなく我慢して、通り抜けなければならないこともある。ところがこの我慢というものを培う場がなくなってきている。我慢の聞かない人間が増えている。それだけ自由になったと言うことなのだろうが、その分社会がおかしくなった。
自分側からしか見ない人間が増えたのではないか。社会の側から自分を、客観的にみる力が不足してきた。そこにコンピューター革命である。自分とネットの中しか世界がなくても、何とかなってしまう。たぶん閉じこもりをしている人も、ネットやゲームだけはやっているのではないだろうか。
日本人が内向きに変わってきた。その結果が高市支持の爆発ではないのか。調子の良い、ネット発言のような抑制のない発言をあえて口に出してしまう。政治家としては未だかつてない愚かさに見えるが、それが内向き人間には受けると言うことを考えてのことだろう。
内向き人間という分析は少し浅すぎる気がする。SNS人間という法が近いかもしれない。こんな言葉はないかもしれないが、私には理解できない人間が、SNS利用で現われていると考えた方が良いのだろう。ラインというものは利用しているが、確かに集団で情報の交換をする手段であり、それが記録に残る方法というのは、かつてないものである。
SNSに関する解説を読むと、「仲間に認められたい」「他人に褒められたい」という他者からの評価―そういった精神的な満足を“すぐに”“手軽に”得ることができます。SNSは、基本的に仲間との交流の場ですから、自分と異なる意見に同調せざるを得ない場面もある。と書かれていた。
確かにそういう気がするが、それどこではない、人間の劣化を生むような気がする。人間関係のあり方にも変化がみられ、「広くて浅い関係」、「他人からよく見られたいという強い欲求」、「共感を求める気持ち」といったネット世界の特徴も挙げられている。
こうした関係性は、不安や孤独を感じやすい状況を生み出しているだけでなく、「すぐに返信しなきゃ」「乗り遅れないようにしなきゃ」と24時間SNSに向かい合うようになる。政治における妥協とか、我慢をすると言うことが失われたようだ。このSNS人間の空気に高市氏は誰よりもうまく反応しているのかもしれない。
高市氏の評価で一番面白かったのを上げておく。
高市氏は「ネトウヨの姫」になって党内で認められていった人だと話している。彼女が自民党の総裁に選ばれたのは、組織が危機にある時に女性をリーダーに就かせ、矢面に立たせて“利用する”という「ガラスの崖」現象だったと指摘。男性らが不祥事の謝罪などを女性に押し付け、女性もそれを「認められるチャンスだ」と張り切って引き受けさせる。ーーーと。
面白いがこの分析は全く外れだ。高市氏はすごいやり手だと思っている。政治家としての実力も高いと思う。だからこそ、日本を転覆させる可能性があるとみている。高市氏の登場こそ、「存立危機事態」と認識しなければならないと思っている。