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笹村 出-自給農業の記録-

稲作農業復活の手段

   

 

日本農業をダメにしているのが、政治だ。農協も良くないと思うが、一番悪いのは日本政府の農業無策だ。米の高騰が起きた原因。そして、備蓄米の放出。そしてまた、高市政権が登場して農協への先祖返り。こうした政府の無策によって、日本の稲作がめちゃくちゃにされている。

どれほど無能な政府なのかと思う。無能と言う以上に汚い政府だ。既得権益と待たれ合う政府。これほどひどい状況で、その政府を支持する国民が75%と言われる。悲しくなる。当然、農家は着実に減少している。政府の建前で掲げる食糧自給率の向上は、完全に放棄されている。

それを昨年国民は見せつけられ、倍の価格にも成ったお米を買わされた。それでも米騒動が起きたわけでもない。お米が買えなくなったと嘆く、悲しい人の群れ。最悪の高市政権が支持率が高い。何が起きているのかと思う。仕方がないと考えて居るのだろうか。この世界一の高値のお米をおかしいことだと思わないのか。

生産性の低い稲作が、今のまで良い訳がない。米作りも産業である以上、生産の合理化は当然目指して貰わなければ、お米を主食とする国民としては困る。私も日々研鑽である。長年米作りをしてきて、何故生産性が低いのかはよく分かっている。競争がなくなり、片手間農業の為の生産性の低さ。本来日本の水土は米作りは恵まれているはずだ。

この状況で、米の高止まりで今のままの農業が温存されることになれば、日本の稲作は改善がされないまま消滅されることになる。瑞穂の国がこんなにだらしないことで言い訳がない。生産性の低さの原因を追及しなければならない。複雑に絡み合ってはいるが、突き詰めれば稲作兼業農家に問題がある。

確かに日本の産業の多くが、生産性が低下している。世界において、日本の競争力が低下している。東アジアの中でも下位に位置する生産性の国になっている。この日本人の劣化と言えるような現象が、農業にも及んでいるということとも言える。これも悲しくなる状況。

農業は肉体を使う一次産業である。日本人がやりたがらない産業の一つになった。日本の農業と言っても、外国人労働者によって生産されるようになれば、もうそれは日本の自給率に入れることは出来ない。身体で働くことを嫌う人間が危ういような気がする。

その危うい日本人が、藁にすがるように高市政権を支持している。このように日本人の末期的現象が起きている。世界中の独善主義が日本にも及んでいるとも言えるわけだが、日本の特出した生産性の低下は、人間力の低下をうんだ。特に一次産業分野全体の能力低下と考えざるえない。

日本は瑞穂の国であり、米作りの百姓の国であった。江戸時代の日本の百姓は世界一の稲作農業者であった。江戸時代に形成された百姓文化が失われた。武士道などと浮かれていたからだ。明治帝国主義の間違った富国強兵のため起きたことだ。ここ40年。つまり私が農業を始めて以来、農業衰退の歴史だった。

日々誇りを持って米作りに励む百姓は、少数派になった。気の利いた百姓は換金作物を作るようになった。政府が奨励する輸出可能な農作物の生産である。リンゴ作りが悪いわけではないが、リンゴとお米では、食料としての意味も、日本の国の基本要件としても異なるものだ。

何故稲作農家がダメになったのかは、政府の農業政策の誤りにあると言える。それは米価闘争がむしろ旗が国会を取り囲むというような、状況から今に至るまで、その場しのぎばかりが行われ他結果である。基本となる未来を展望する農業政策がなかった。規模拡大など、40年前に達成されていなければならない話だ。

農政改革が稲作の生産性の向上には結びつかなかったところにある。確かに稲作農家の規模拡大は言われてはいた。その方向も今は生まれてはいる。しかし、政府は相変わらず既得権に支配されて、農協改革に取り組むことが出来ない。そもそも農協が、大規模稲作農業経営をやるべきではないのか。

あの偉そうな農協過保護の鈴木農水大臣は、農協を何をするところだと考えて居るのだろう。今のまま維持してどうなるというのか。今誕生している100ヘクタール以上の、3000ヘクタールを目指すというような大規模経営の農家が、資材や機械を、農協から購入する大規模農家はないだろう。両者の関係をどうして行くと思っているのか。

大規模農家が生産したお米を農協に出荷するようなところもないだろう。大規模経営を考えたときに、独自販売ルートの開拓である。資材や機会はメーカーから直接大量購入する方が安く購入できる。また、農協の機械センターで機械管理するようなことでは、とうてい機械の管理は間に合わない。

もちろん、農協との関わりを事業資金の融資という形では、関係を持つところが多いのだが、経営全体から見れば、企業として独自に完結する方向に動いている。本来であれば、農協が小規模農家を統合して、企業的経営体にする動きがあっても言い訳だ。

所が農協に、それだけの経営能力があるのかどうかである。あの備蓄米の流通の目詰まりを見ても、とうてい無理だ。農協も農業分野以外では様々な事業を行い、利益を上げているわけだが、稲作事業体として生産性を上げているようなところは余り聞かない。このあたりの農協の現状を政府はどう考えているのか。

家族経営の農家では15ヘクタールから20ヘクタールぐらいが一番効率が良いとされている。それは、農協にお米を出荷する前提で考えた規模である。販売については考えない所が多数は。生産だけで考えると一通りの機械をそろえて経営するとすれば、20ヘクタールぐらいが限度か。

100ヘクタールを超える経営規模の場合、労働力を雇用しなければならない。独自販売ルートを持つ必要がある。精米までの機械設備はお米やさん以上のものになる。そうなると1000ヘクタールの方が生産性が優れていると言うことになってくる。

所が1000ヘクタールのまとまった農地と言うことになると、企業努力だけでは、まとめることが難しい。原因は農地法の硬直化がある。政府が農地法の改正の努力をしなければならない。農地利用を変えなければダメだ。大規模に農地が集約できるように農地税制を変える。

小さい農家が、小さい農家地域に農地を移転することを優遇する。大規模地域で続けると税金を沢山取られる。さらに、中山間地の条件不利な農地は、環境保全農業地域として、耕作するだけで補助金を出す。それは地方社会の維持のためと考える必要がある。

地方は社会はこのまま行けば消滅する。それでは日本が滅び行くことになる。中山間地農業が地方社会を支えている現実を、農業の視点からとらえ直すべきだ。社会インフラを維持できる地域を限定して、地方社会を守る必要がある。

そして、さらに不利な農地で、しかし守ることが必要な農地は、市民に無料で貸し出し、住宅の建築も認める。市民の自給的生活を政府が受け入れる必要がある。これが日本の食料安全保障になるはずだ。自給農業で日本人は生き残ることが出来る。

日本は次の世界の見本になるように、江戸時代のような日本に向かったらいい。世界との競走を放棄する。このまま競争に加われば、戦争に巻き込まれることになる。どれほど貧しくなろうとも、戦争をして人殺しの国になるよりは増しだ。

日本は確かに災害列島にある国ではある。しかし、実に豊かな国土とも言える。8000万人ぐらいまで人口はすぐに減少するだろう。そのときには完全自給の国作りが可能になる。方向さえ変えれば、日本の文化が世界に誇れる国作りがまた可能になるはずだ。

そのときには、稲作農業が日本の文化をもう一度建て直してくれるはずだ。自給農業を日本文化の一形態と考えるようになるはずだ。ここには人間の本当の暮らしが存在する。もう一度ここからやり直してみる以外に、日本が立ち直ることは出来ないと思う。

 

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