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笹村 出-自給農業の記録-

絵のこと

   

12月30日の写真。783番の絵になった。

こんな感じで毎日アトリエカーの中で絵を描いている。石垣に来て7年間変わらず、こんな感じである。日曜水彩画展示も、365回になる。つまり7年間になる。最近は草の波が絵に出てくる。草が波のように連なる草原が現われてくる。草の強い動きに巻き込まれている。海原、海の波をしばらく描いていて、草原にも波があるなと思って見ていた。

それが、だんだん絵に現われて描くようになった。まだ草の波が絵になるという所までは来ていないが、何故か描き出すと草の波を描いていることが多くなった。絵になるとか、成らないとか。そういう描き方から離れたいと思っている。

描くという行為に没頭できれば良いと考えて居る。座画同行と言うようであろうとしている。それも分かっていてそうしていると言うより、分からないが何か、生きるという自分の方角はそっちの方が良いのではないかと、考えて居る。しばらく続くと良いと思うがどうなることか。

石垣に来て以来、草の中にあるエネルギーに圧倒されている。海が空間を動かしているように、地表に広がって行く草の世界が、波を打ちながら続いて行き、空間を形成する。草が空間を動かしている。この感じに引きつけられる。草の命に自分の命が反応することを感じる。

見ていて草も、海も怖い。恐怖感がある。その命の力の活動に巻き込まれ飲み込まれてしまう恐怖がある。ある意味怖いもの見たさである。この怖いようなものの中に、描かなければいられないような、何かすさましいものが見えてくる。だから余計に意識しないようにしている。記憶の中から引き出している。

ただ描いているだけなのだ。絵なのかどうかもよく分からない。情景の説明をしているわけでもない。絵を創作しているというような意志的なものでもない。絵を描いている感触は大分変わってきた。なんとも言えないが、ただ絵を描いて、自分の記憶中から出てくる物を見て、自分というものを確認している。

海を描くときは、絵の範疇だなと思えていたが、草を描いているとどうも模様のような調子のような、感じもする。しかし、その中に美しいものが見えてくるような気もしている。植物の持つ生きているというエネルギーに意識が行く。そのエネルギーは美しく輝いている。

そこに反応しようとしている。そのエネルギーの輝きが絵の上に現われるまで描こうとしている。どういうときに現われるのかは分からない。ひたすら描いている。あるとき何となく画面が輝くときがある。その輝きを追って行く。輝きが何故現われるのか、手順もなく、たまたま起こる。

妄想の世界のようなものなのだが、画面という現実が残る。何かの印があるような気がしている絵をアトリエに並べる。並べてみている。良いと受け入れられる絵と、これは違うという絵がある。その基準が何かも分からないが、ただこれなら自分が描いたと言える絵、それだけが基準。次の絵の灯台にしている。

谷川俊太郎氏が自分のために詩を書いたことはない。読む人がどう読むかだけで書いている。そのように描いていた。驚いた。そうなのか。そう思ってどんな詩を書いているのかと思い、何冊も詩集を買ってしまった。なるほどな言葉が操られている。と思った。読みやすい、わかりやすい素敵な、そしてしゃれた詩だと思った。どこかで、これでいいのかとも思えた。

考えて居る芸術の世界とは異質なものだと思った。これこそ日本の伝統なのかもしれないと思った。どうすれば自分のためだけになれるか。どうすれば人に対して表現する。ということから離れられるかを考えている。谷川氏が普通で、私がきっとおかしいのだろう。

ただ、芸術の世界はおかしくてもそれで良いという世界の話になる。自分が、自分がはやはり道元禅師の世界観。子供の頃からそういう環境で育った為やむ得ないところもあるのだろう。また、何となくササムラという家の家風のようなものがある。父親は4人兄姉だが、4人ともが自分が、自分がと極端な人たちだった。

そういうことは今更どうでも良いのだが、やはり自分がいくらか歪んでいるらしいと言うことは、気づかざるえない。その上でそれで良い。このまま行く以外に無い。と言うことなのだが。それが「私絵画」と言うことになる。たぶん理解すると言うことが苦手なのだ。

子供の頃「わかる」と言う意味に混乱した。分かると言うことが分からないと泣き叫んでいたことがある。分かったか。と怒られるわけだが、分かると言うことがどういうことなのかが、受け止められなかった。たぶん悪いことをして、分かったかと言われていたのだろうが、善悪と言うことがよくできなかった。

何故悪いとか正しいとか、そういうことがあるのか事態が、よく分かっていなかった。どんな絵がいい絵なのか。どんな絵が良いとされて、その理由が何故なのだろうか。これが正しいと自分で判断が出来なかった。分かる以前に、その前提に疑問が言ってしまう。

よく言えば哲学的なのだが、悪く言えば要領が悪くて、屁理屈ばかり。いい絵なのだからいい絵を理解しろと言われてもなあ。誰がそう決めたのだろう。という感じが、すべてに及んでいた。分かると言うことが分からないと苦しくて泣いたことがある。そのとき母親だけが、分かりたいと言うことは大切だと言った。

どうしようもない、度しがたい奴だったわけだ。そういうことを繰り返している内に、仕方がないと言うことになり、ややこしいことを忘れたのだろう。結局いい絵がどんなものかは分からないが、絵を描くと言うことは好きだった。クレヨンを塗りたくるのが好きだったのだろう。

ただ白い紙を真っ黒に塗りたくり、幼稚園の先生に何を描いたのと言われて、困って夜だと応えた記憶がある。最初は中リップとか描いていたのだが、うまくかけないので、つまりは何は見えないので、あれこれやっていて結局真っ黒に塗る以外にもう出来ないことを消せなかった。

そのために幼稚園の先生が病院で見て貰った方が良い。と親に言いつけたらしい。そのときは親もたいしたことではない。とほっておいてくれたのだが、結局聖路加病院の精神科で見て貰うことになった。要するに言い訳が巧みだっただけだと思っていた。

まあこんな子供時代のことにまでこだわり思い出して、グズグズしていること自体が、完全なこだわりでいささかおかしい。この辺が発達障害の残存。どうでも良いことなのだが、やはり、私絵画を描こうとしている自分というものを考える上では、どうしてもこのあたりまで考えざるえないことになる。

絵を描くと言うことは、生きてどこに向かっているのかの確認である。自分というものに向かっている。社会がどう受け止めるかなど私にはどうでも良い。今更のことだ。そんなところに価値を向ければ、商業芸術に成り下がる。商業主義社会での価値観は、商品価値である。投機対象の芸術は嫌だ。

そこを抜け出さなければ、自分を見失い、商品の制作にはいり、要領の悪い私では、とうていまともな商品が作れない。趣味だから商品の下手くそなまねで良いかと言えば、そうでもない。芸術という商品を超越した価値観をも出して、別枠を打ち立てる。

やはり私の絵を判断しているのは、私の中にあるらしい、ぐるぐるした私である。どこまで行っても他人の判断では納得がいかない。結局物わかりが悪い。だから人が一種にして分かったということにしてしまうことに、こだわり続けて絵を描いている。

わかるということ自体が、わからないのだと。絵を描いていることを無意識にしたい。意識的に絵を描けば、学んだことが入り込んでくる。いい絵だとか言う知識を分かりたくない。そういう先入観なしに、どんな絵を生まれてくるのかである。それを見てみたいのだ。

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