朝ドラ「あんぱん」

   

朝ドラは石垣島にいるときには必ず見ている。「あんぱん」は感動してみている。特に戦争というものの、表現に新しいものがあった。紙芝居を宣撫隊が行う話は、父が話してくれた、中国戦線の実相に近かった。父は7年中国の長沙という前線の兵役についていた。食料調達の役目をしていた。

戦時中が一番和歌が出来たと言っていた。生活が単調で、和歌が自然と出て来る環境だったという。全く戦争のイメージが違った。和歌を家に送り、和歌の雑誌に載せて貰っていたという。家では、「心の声」という和歌の同人誌を出していたらしい。

軍の力だけでは食料は集められない。中国の人民の懐に入り、信頼を得て初めて食料の調達が出来ると話していた。長沙というとこに長く居て、ここは毛沢東の出身地である。そこに素晴らしい人格者がいて、(残念ながらその方の名前は忘れた。)その人を師として仰ぎ尊敬していたそうだ。その人は息子が2人居て1人は毛沢東軍に、もう1人は蒋介石軍に入れたそうだ。

何故中国人と親しくなることが出来たかは、民俗学をやっていたからだと話していた。中国人を民俗学の学徒のつもりで見ていたそうだ。すぐに中国語を覚え、中国人の中に入っていったそうだ。敗戦になったときには、親しくしていた中国人の人たちに助けて貰い、自分で日本に戻ったそうだ。

朝の連ドラ「あんぱん」はやなせたかしさんという、「いい人であろうとした人」の話である。私は中学に入学した頃ダメな自分というものに悩んで苦しみ抜いた。そして総力なることにした。いい人になりたいが、どうしてもいい人には成れない。それなら、いい人のふりをし続けようと考えた。嘘でも悪い人より増しだと考えた。何となくやなせさんに近い気がする。

やなせたかしさんは生涯いい人でいたようである。このドラマはやなせたかしさんの物語ではあるが、やなせさんの奥さんの話あると言う建前である。朝ドラには一種の女性が主役という約束事がある。と言うより以前は明確に女性主人公だった。NHKの中にあった女性尊重思想がそうさせていたのだろう。

最近はそうでもない男性主人公ドラマもあるのだが、今回も微妙なところだ。「ゲゲゲの女房」に近いようだ。どうせなら女性漫画家を取り上げれば良いのにと思うが。やはり生きている人では上手くないのか。まだ亡くなられた女性の漫画家大家は居ない。

立派な自立した女性が結婚して、漫画家のご主人を支えるという筋書き自体は、どうもいただけない。下手をすると、女性は家庭でご主人を支える役割などと捉えられてしまう。多分そう成らない筋書きを考えて居るのだろうと思われる。それくらい今の所良い脚本である。

明治の女性の話だと、自立した女性が出てくる。明治時代の女性の話では広岡浅子氏の話が面白かった。「あさが来た」という日本女子大学の設立に奔走した人の話。あるいは津田梅子氏のように、6歳でアメリカに留学し、帰国して英語教育のために津田塾大学を創設する。村岡花子氏は翻訳家になる話だった。

あの有名な「おしんは、スーパーマーケットを創設した女性の話であった。自立した女性の話が、朝ドラの定番だった。女性落語家を目指した「ちりとてちん」も忘れられない朝ドラマだった。最近では感銘を受けた「虎に翼」の三淵嘉子氏はすばらしかった。今こそ女性主人公でドラマを作るべきではないか。

昭和の時代の女性は夫唱婦随である。ゲゲゲの女房と同じである。最近恋愛ドラマ仕立てが多いのが、気になる。軍国主義のなかで、女性が自立して生きるという、時代の空気が弱まっているせいなのかもしれない。人間が生きる根源を夫婦愛のようなところに見ようとして終わる。そんなモンジャナイ。
 

ただ、奥さんの「のぶさん」はなかなか良く描かれている。演じている人も良い。この人は樹木希林になり得るのではないか。と思われる演技力を秘めている。美女女優路線を止めて、人間としての俳優を目指したら良い。お母さん役の江口のりこさんから学んだら良いと思う。

それにしても江口のりこさんは素晴らしい。「ソロ活女子」はネットで見ている。普通の人であり、普通の人では無い微妙な人。この人以外ではこの表現は出来ない気がする。そもそも女優は普通の人では無い。普通の人が演じられる俳優は少ないのだと思う。

「あんぱん」はやなせたかしさんの実録ではない。異なるストーリーに作られている。やなせさんのことは気になるところがあり、何となくその人生を読んでいた。「詩とメルヘン」が発行された時に衝撃的だったのだ。サンリオとやなせさんの出会い。採算度外視した出版。どうなるかと注目していた。

「詩とメルヘン」は1973年から2003年8月まで30年間刊行され、通算で385号まで発行された。あの頃はバブル時代。時代の空気がまるで違った。どんな冒険でも何とかなるという気運があった。その気運の中で学生時代を送り、何でもやってみようという気になっていた。

何とかなるかもしれないという時代の気運があった。絵描きを模索した時代と重なるが、私はやなせさんよりももっと早く転戦をした。画家にはなれない。絵を描きたいのであれば、描き続ける道を生きようと考えた。やなせさんの30年の努力は素晴らしいことだ。私は20年で挫折をし、転戦をした。

自分が絵を描く人生を目指す中で、新人詩人の発表の場を提供する雑誌を創刊する人が居ることに強く励まされた。確かにそういう画廊の方に何度も助けられた。そのご厚意に応えられなかったことは申し訳ないことだ。次の時代の絵画のあり方を模索しているので、許して貰いたい。

最近、宮崎進氏の絵を買った。昔憧れた絵描きだ。あの不思議な存在感に引きつけられていた。昔もその絵が欲しかったのだがあまりに高くて買えなかった。数百万はしていた。今はその絵が数万円である。昔見た記憶のある絵があったのでつい買ってしまった。今目の前にあるが、やはり輝いている。

「あんぱん」の思想は人を助けると言うことは、自分の身を切る痛みを伴うと言うことなのだろう。確かにやなせさんはそういういい人の生き方を目指した人。戦時中の空腹。空腹ほど苦しいものはないという、体験から生まれた思想。これは何度も父から聞いた話とつながる。

父は食べ過ぎる人だった。あるものをすべて食べきらないと居られない人だった。それが原因で、糖尿病になり死んだ。戦時中の飢餓による不安神経症だったのだと思う。食べれるときに食べておかなければという気持ちが、死ぬまで抑えられなかった。「食っちゃえ、食っちゃえ」と食事を食べないで居ると、良く怒られた。

夕飯を一緒に食べるために待っている。と言うことが父には出来なかった。目の前に食べ物が置かれた途端に食べてしまう。他の人の食事が並んで残っているのが耐えがたかったのだと思う。だいたいの場合は、食事は自分で作って食べていた。食材も自分で買ってきていた。そのときほど嬉しそうなことはなかった。

家族は糖尿病が悪くなるので、どうして食べ過ぎを止めるものだから、それで険悪になってしまうことも良くあった。そこで家族は父と同じ量しか食べないと決めた。みんなで我慢することにしよう。長生きして貰いたいからみんなが我慢するので、我慢してと頼んだ。それで父は食事制限をすることになった。辛いことだったはずだ。

アンパンマンにはその飢餓体験が根本にある。飽食の時代の我々には、実感がないことだ。だから、我が身を食べて貰い、空腹の人が救われることに、喜びを感じるという思想がもう一つ響かなかいのかもしれない。しかし、飢餓を最大の悪とする思想は生き物の真実を示している。

人間の罪は飢餓だ。国民の食糧の確保は国の責任のはずだ。ところが日本国はその役目を忘れている。だから、食糧自給の道を選んだ。食料は自ら確保できる。その実践と研修の場の提案。あしがら農の会である。「のぼたん農園」である。食の自給が平和への道である。

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