石垣島田んぼの稲刈り、脱穀が終わって

足踏み脱穀機
石垣島田んぼ勉強会は稲刈り、脱穀が終わった。収穫が無いほとんど無い、辛い結果になった。40名を越えるの参加だった。沢山の方に田んぼ勉強会に参加していただいたのに、収穫が出来なかったのは、申し訳の無い気持ちで一杯になった。この失敗を良く分析をして、次回の耕作に取り組もうと考えている。
亜熱帯の7月に種まきをするということで、様々な困難が起こるだろう事は、ある程度予想はしていたのだが、ここまで生育が悪いとはさすがに考えていなかった。私の考えが甘かった結果に違いない。すべては準備不足のまま始めてしまったためだろう。
今回の失敗で学んだことも無かったわけではない。一番学んだことは気候に適合する品種があり、それを選択しなければならないと言うことだと思う。石垣島の熱研の圃場では「とよめき」が成績が良かったと言われていた。次回は作ってみようかと思っている。

千歯扱きの脱穀
次の課題はいかに有機農業の土壌を作ってゆくのかと言うことになる。石垣の田んぼの土壌は、随分と状態が違う。細かくて縦浸透が無い。田んぼに一度水が溜まれば、縦につまり土壌の下に抜けることはほぼない無い。まるでコンクリートのような防水層が耕土の下にあるような感じである。
土の粒子が細かい。そして腐植がほとんど無い。長年2期作で連続的に耕作してきた結果なのだと思う。除草剤や殺菌剤剤や殺虫剤が限界まで使われているように見える。その結果有機農業とはかけ離れたものになっている。これは石垣島の稲作が、10ヘクタールを超える10人程度の大規模農家によって行なわれている結果である。
この有機農業の土壌とはまったく違う土壌をどのように、有機農業向きの土壌に育んでゆけば良いかが、今後の課題になる。参加者全員で腐食を増やす努力をしたい。田んぼのそばに堆肥場を作りたい。参加者はできる限り家で出る生ゴミを堆肥化して、田んぼの堆肥場に持ち込む。落ち葉や腐葉土を集めて田んぼの堆肥場に持ち込む。
また、来期まで期間が短いので、対策として田植えを遅らせる。そして、すぐに土壌を起して、水を溜める。14日には水牛わかばのコロバシャで代掻きをして、そのまま冬季湛水にして置く。
この効果は分からない部分もあるが、冬期湛水はたぶん土壌が回復する速度を早めてくれる効果があるのだろう。これは長年石垣島で有機農業をされてきた、下地さんの提案である。田植えも遅くして湛水期間を延ばしたら良いと言われていた。
もう一つは田んぼに入れる堆肥作りをしたいと思う。良い堆肥を充分に作って、田んぼに入れる必要がある。それをしなければ、また肥料不足の結果になる。これは田盛さんという方が、有機肥料と言うか、有機ぼかし肥料を作られている。ここに加えていただき、肥料作りをやらせて貰いたい。
今回の勉強会の結果を踏まえ、来年本格的に田んぼに取り組むつもりでいる。今度こそ次に繋がる成果を上げるべく頑張りたい。まだ石垣島での有機農法に適合する品種なども分からないことが多いが、来期は「とよめき」でもう一度挑戦してみる。
〇実施の流れ
7月4日 苗床の種まき。
7月11日 水牛による田んぼの代掻き。
8月1日 田植え。
9月初旬 走り穂、10葉期での出穂になり驚き。
9月12日 出穂
9月22日 穂揃い。まだ分ゲツからの出穂が続いている。
9月22日 イネ開花期に台風が襲来。イネ受粉障害になった模様。株倒される。
10月18日 緑肥の播種ヘヤリーベッチとクロタラリア
11月7日 稲刈り足踏み脱穀機
勉強会を通して考えたことや、気付いたこと、を上げておきたい。来年の二回目の挑戦に役立つことだと思う。
- 田んぼの土壌が有機農業向きにまだ出来ていない上に、肥料不足で成長が不十分だった。
- 気温が高すぎるために苗が徒長し、軟弱苗になった。台風で苗が土に埋まった事もある。
- 病害虫が多く、無農薬での対応はまだ見えないことが様々ある。
- 「ひとめぼれ」は株が出来上がる前の10葉期で穂が出てしまった。本来15枚の葉が出る。
- 事前の道具や機械および機械小屋などの準備が不十分で、このままでは難しい気がしている。
- 参加者への連絡方法が確立できなかったため、参加者の把握が出来なかった。
- ジャンボタニシによる除草方法が見えてきたこと。畦際に水路を作るとよい。
- 有機農法では2期作はせず、土が良くなるまでは後期は土作りをした方が良さそうである。
- 石垣島の土壌は細かく浸透性が少ない。畦は穴が空かず強い。縦浸透がほとんど無い。
- 水牛による代掻きが実現できて、今後も水牛による稲作が行えることが分かった。
- 初めての参加者による苗作り、苗取り、線引きや、手植えの手順がおおよそ把握できた。
石垣島には石垣島独特に成立しているイネ作りがある。いままで小田原で見てきた農業とはかなり違っているとおもう。特に2期作の方法は想像していなかったほど違っていた。しかも、農家ごとに違う農法が行われていて、驚かされた。それは自分が耕作してみてよくよく分かったことだ。
それぞれの農家の方の栽培法が随分と違うやり方をしている。全国的に見ても珍しい事ではないかと思う。小田原でも独自の方法でされている方も、いないでは無いが、一般的には例えば田植えであればおおよそ同じ時期に行われる。
それは田んぼの用水に水が来る時期などが決まっているから、自然と統一が取れる。しかし、石垣ではそれぞれの農家の考えでかなり時期がずれることになる。各田んぼに水が配管されていて、自分の考えで時期を決めることが出来る。
また、気候的に1月から8月まで間、どの時期にでも田植えすることが出来るという、気候的な自由さもある。稲作以外にやられている人であれば、パイナップルや、サトウキビの栽培の農繁期とずらして、稲作を行うという人もいるのかもしれない。
また、台風の襲来が多いということもある。うまく台風を避けて作るためには、それぞれの方の経験からその年の台風を予測して、避けているようだ。こうして、自由に栽培をしている結果から、多様な稲作が出現してきたのでは無いだろうか。
今年多くの方の協力の下に稲作を行ったにもかかわらず、結果を残せなかったことは実に残念なことであったが、これを次につなげ無ければ、多くの協力いただいた方にも申し訳ないことになる。なんとしても石垣島の有機稲作を実現するまでやってみたい。
収穫出来るお米がほとんど無い状態での稲刈りであったが、40名もの参加者がいた。石垣島への移住者の間では有機農業に対する関心が実に深いのだとおもう。特に、市民が参加できるイネ作りは提案されたことが無かった結果なのだと思う。
今回の石垣島田んぼ勉強会が、島にやってくる新規就農者の役に立てる組織になることを考えている。移住者の窓口のような組織はすでにあるが、農業者の窓口はあまりないようだ。そのあたりに私の出来る役割があるようにも見える。
4つの課題がある。
1,農業および農地に関する情報提供
2,農業機械の提供。
3,農作業場および拠点作り。
4,お米の販売の研究。
これからわたしにどこまで出来るかは分からないが、社会的意味では最後の仕事になるような気がする。石垣に来たのは、絵を描くだけの生活のためだったにもかかわらず、こういうことになった。成るべきして成ったような気もする。
石垣の農業も特に稲作に関しては、後継者が難しくなるとみている。石垣島のイネ作りが未来に継続されるためには、経営的農家では無い人が、支えてゆかなければならないことになる。それは小田原で、また全国の過疎地でおきていることと同じではないだろうか。