東京の変化

   



 月に一度東京に来ている。来たときは、時間があれば少しでも絵を見ることにしている。石垣では他の人の絵から離れているので、そういう気持ちになるのだと思う。東京のほかのことにはあまり興味がわかない。東京にしかないものというものもたくさんあるのだろうが、多分そういう都会的なものには興味が少ないのだろう。東京で好きな町はアメ横ぐらいだ。

 三軒茶屋には暮らしていたので、あの辺りは今でもいくらか土地勘がある。今回泊まっていた大井町で図書館に行こうとしても、グーグルマップでは確認できるのだが、歩いてゆけるのかが少し不安だ。今でも下馬図書館の場所は行けばわかる。しかし、三軒茶屋からすぐの下馬図書館はWi-Fi環境がないようだ。

 三軒茶屋は知っているお店はもうほとんどない。このお店は昔もあったと確認できるものが2,3軒というぐらいだろう。三軒茶屋にいたのは35年前になるのだから、それがあたりまえのことなのだろう。商店というものも長くは続かないところがほとんどない。

 確かに商店は気楽な稼業ではない。時代の変化が大きすぎて、昨日良かったことがもう明日には変わる。日々商売商売で大変なはずだ。気楽なはずのサラリーマンはもっと大変な時代になりそうだ。自分の生きてきた時代を考えてみると、団塊の世代はめぐりあわせは良かったにちがいない。

 三軒茶屋がにぎわっていたのは戦災で燃えなかった地域だったからだ。戦後の住宅難時代に人口が過密になった地域である。戦後急遽三軒茶屋小学校が作られた。そこに通ったのだが、一クラス60人くらいはいた。それをさらに過密にして80名くらいも詰め込み、通路なしという状態すらあった。

 そうした過密すぎた人口が少しは落ち着いたのだろうが、そのころからマンションが立ち並び、新しい意味で人口増加が起きた結果が今なのだろう。世田谷区の人口自体が、小さめの県よりは多いのだから、人口過密も続いている。三軒茶屋はその後中学になったころ離れた。

 だからそう長いわけでもないのだが、子供時代にいた場所だから何となく土地勘は今でもある。大井町は昔よく自転車できた場所なのだが、大井町図書館へ行く道がどうしてもよくわからないで困った。やっとたどり着いたのだが、パソコンをやっていて困ると言われた。どこにもそんな表示はないのだが、追い出したかったらしい。パソコンをやってはいけない図書館とはいったい何だ。

 昨日は銀座で絵を見た。時間があったので少しでも絵を見てみたいと思った。どのくらい自分の絵がおかしくなっているのか、なにか基準になる絵を見たいと思ったのだ。彼末宏さんの作品展を泰明画廊でやっていた。懐かしい気持ちもあり、ゆっくり見せていただいた。

 もうなくなられて10年は経つとおもうが、彼末宏さんは国画会の会員で東京芸大の教授である。必死に絵描きになろうとしていたころ、かなり目立っていた人だ。今どうだろうか。彼末という印象に残る名前であるにしても、知っている人も多くはないのかもしれない。

 どこかくらい重たい絵だと感じていた。今回見てみるとそう重たいとも思わなかった。どちらかといえばずいぶん工夫された絵だと思えた。工夫というと悪いイメージがあるが、自分の世界を表現するためにあらゆることをやったということ。

 病の絵だと当時思っていた。同病のものが支持している。そう考えていた。それは今見てみると間違っていた。何かこだわりの強い絵であって、それが当時の私の浅はかさで病だと見えていたようだ。そのこだわりは画面の独特の雰囲気のようだと今回思えた。

 彼末宏の世界という雰囲気というか情緒的というようなものは確かにある。それは割合狭い世界のようだ。この人に見えていたものは、ちかしい身の回りの親密感のようなものらしい。自分の世界を表現することが、絵画であるという意味ではこれでいいのだろう。狭い範囲の根強い支持者が今もいるのではないかと思えた。

 そういう意味では絵はやはり自分を描く以外にはない。その自分次第だ。その人間がいかなるものかということが、その絵の世界への表現になるのだろう。ただ絵は技術的なものがかなり大きいものだ。井伏鱒二さんはすごい人間だと思うが、その絵はすごいものではない。

 いくら絵画の技術があるからと言って、絵が面白くないということがあるのは当たり前のことで、世間で興味深い人というものはそれほどはいない。つまらない人であれば、どれほど技術があっても絵は描けない。そこで、日々の絵の技術を磨く努力が、その人の人間を育てるようなものでなければだめだということになる。

 たいていの場合技術向上の方角が、よい絵を描く技術であったり、精密に欠ける技術であったり、時代の傾向に合わせれる技術であったりする。そのために技術向上の努力が人間をつまらなくしてゆく結果になってしまう事の方が多い。ここが難しいところなのだろう。

 絵画というものが、多分芸術はすべからく、こういうものだから見るものを変えてしまうほどの影響を与えるのだろう。ゴッホの絵を見て命を救われた人が居る。私の絵がそれほどのものになる可能性もないだろうが、そういうものを目指して絵を描きたいとは思っている。
 
 人間を成長させたいと考えて、禅に興味を持った。初めから乞食禅そのものだった。いま絵を描くのも人間の成長に結び付けている。それしかできないのだから、これを突き詰めるほかない。いまさらこの歳になってという事になるが。

 過ちては改むるに憚ること勿れということもある。身体が動く間はのぼたん農園を作り上げることに賭けたいと思う。東京に行ってますますそういう事を感じた。大きなビル工事が続いている。一体何をしているのかと思う。止まったら倒れる自転車のようだ。

 一度出来上がった仕組みが、判断力を失い、惰性で過去の方角を目指して、止まることができない。東京がもがいているように見える。この先は奈落だ。一度立ち止まらなければ、未来を見ることはできない。石垣島から見ているとそう感じる。

 人間が生きる幸せというものと、東京がどんどん乖離してゆく。違う努力を繰り返している人間。東京の様変わりが何を意味しているのだろう。

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