食料の自給と安全保障

国の安全保障の中でも一番重要なものが、国民に対しての食料の安定供給である。感染症や災害や戦争も問題ではあるが、食料生産は国内で起きている、政府がしっかりしていれば何とかなる問題である。それが出来ないと言う事はよほど日本は政府が頼りないと言うことになる。政府が国の安全保障に食料を入れていない。
食料自給率が、現在日本の歴史上最低の37%まで落ち込んでいて、回復の方法が見えない。農業従事者の減少がその主たる要因である。農業を主な仕事とする人は130万人。毎年農業者は減少を続けている。農地は100%自給できる面積が存在するにもかかわらずである。
老齢化も進んでいる。平均年齢が現在67歳である。死ぬまで働くとしても団塊の世代が働けなくなる日はあと10年しか無い。農業従事者のさらなる減少は明らかになことだ。外国人労働者にお願いすることも、円安で難しくなるのだろう。農地もピークの1961年の7割の437万ヘクタールに縮小した。
石垣市でも農業従事者に対する調査が行われたそうだ。5つに地区が分けられたアンケート調査のようだ。街に近い場所はそれなりに農業経営がされているが、私のやっている崎枝は西部地域では10%の農地の放棄農地が見られるので、従事者同士の話し合いの場を設けると出ていた。10%程度の放棄地とはちょっと思えないが、どういうことだろうか。もう農地から外れた、回復できない外された農用地があると言うことか。
特に北部地域がかなり緊急を要する状態のようだ。規模拡大して専業農家が経営できる農業基盤の強化と言うことが書かれている。石垣市はそれでもまだ人口が増加している地域だから、担い手はそれなりにいる地域だろう。全国的に見ればもっと深刻になっているに違いない。
与那国島の農業も同じ調査で調べられたようだが、490ヘクタール農地があるが、269ヘクタールが現在耕作されていて、190ヘクタールが放棄農地とある。70歳以上の従事者の場合後継者はどこでもいないとある。
新規就農する移住者を探してゆくということが、与那国町の方針らしい。それは数年前から同じことが言われていて、成果が出ていないことでもある。私が若ければすぐにでも行きたいぐらい魅力のある与那国島の農地だ。生活の設計がたたないと言うことが問題に違いない。
生活が出来ないから農業をやれないと言うことはある。そしてさらに問題なのが、肉体労働を嫌う日本人。肉体労働で暮らせれば、これほど安楽なことは無い。肉体労働ほどまっとうな仕事は無い。何故若い人が嫌うのかが分からない。格好悪いのだろうか。日本の若者は体力不足で疲れているのだろうか。やったことが無いからその魅力が分からないだけでは無いだろうか。
日本の食料の安全保障で欠落しているのは農業従事者の増加方法である。外国人労働者を入れて、大きな農業法人は切り抜けているわけだが、これは遠からず無理になる。これだけ日本の経済が悪くなり、円が安くなれば外国からの労働者は日本では稼げなくなる。
ではどうすれば食糧の確保が可能になるか。唯一の方法が、農業者以外の人に農地を使えるようにすることだ。農業が経営出来ない以上、自給の人に開放すべきだ。自給のための生産に門戸を開かなければならない。自分が食べる分は自分が作る。こうした人が国民の1割増えれば、安全保障の局面が変わる。
日本の人口は1億人に減少する。1千万人の人が、一人で農業者の20分の1の農地を管理したとしも50万人の農業従事者が増加したことになる。平均の日本の農家の耕地面積は1.43ヘクタール。その20分の1であれば、7畝を1家族が耕作する。もちろんその人達がやる農地は充分に遊休農地として全国にあり余っている。
農地の1割くらいは自給的な市民が行う時代が来なければ、日本の食糧安保は達成できない。もちろん日本政府にはそんな考えは全くない。日本政府は相変わらず国際競争力のある農産物の生産ということを繰り返すだけである。儲からない農家には止めろと言うだけだ。主食作物を止めて、イチゴやリンゴを作れと言うことだ。だから自給率が下がって行く。
これでは食料安全保障どころではない。ウクライナは一つの非常事態ではあるが、これからの世界では、食糧事情は思わぬ事が起きて、食料が輸入できなくなる可能性は様々真局面で高まっている。今政府が発想を変えない限り日本はかなり危うい状況だと思う。農業者は高度な技術者である。一朝一夕には増やすことは出来ない。
しかし政府にはそんな気は全くない。とすれば、危機を感じる人が自ら変わり、それぞれの食料の安全保障を目指す以外にない。私は40年前にそんなことを考えて、自給農業を始めたわけだが、ついにこの時が来たという気がしている。
鶏を飼って、小さな田んぼをする。他に道はない。それをどのくらい楽に行うかを実戦をして、研究してきた。一人でやる良さとみんなでやる良さを組み合わせると一番省力な農業が出来る。土日だけ農業をすれば、充分自給の食糧は作れる。
重要なことは農業技術である。自給のための農業技術は専業農家のものとは違う。機械をできるだけ使わなくて可能なものにする。伝統農業と極めて似ている。農薬も化学肥料もいらない。小さい農業であればそれは可能だ。2畝の田んぼでお米は120キロとれて、自給できる。2畝の小さな田んぼであれば、すべて手作業で可能だ。
現在石垣島での自給農業は水牛を使うことを考えている。水牛はどこでも飼育できる生き物だから、上手く取り入れたらかなり楽な自給農業になる。しかも水牛と共に働く喜びもある。そして畑部分は一軒は5畝あるわけだが、これを10軒で合わせて、5反の畑を回す。
畑の場合それぞれが作った方が良い野菜もあれば、みんなでやった方が合理的な保存野菜や果樹がある。これを上手く組み合わせて、省力的に自給農業が可能な形を模索する。小田原で30年やってほぼ完成したあしがら農の会の仕組みは参考になるはずだ。
そして新しく始めることが可能なのか、試す意味でも石垣島でも始めた。まったく問題なく石垣島でも動き出している。つまり日本全国どこでもこうした自給農業の活動は可能だ。自給農業が何故可能かと言えば、販売するという解決しがたい問題を考えないでいいからだ。
全国どこでも間違いなく始められる。問題は呼びかけ人である。私がダーツの旅で日本のどこかへ行ってそこで始めろと言われたら、実現する自信がある。石垣島で72歳の人間が始められたのだ。日本全国やろうと思えば今すぐにやれる。
しかし現実には滅多に始める人がいない。自分のための一人の自給はそれでも始める人はいる。もしそれが出来きるようになったのならば、次はみんなの自給だと考えれば良いのだと思う。自分のために頑張るより、みんなで頑張る方が楽しいし、力が出るという人もいる。私はまさにそうだ。自分のためだけなら30年以上も続いていない。
日本の食糧安保を考えたときには自分一人の自給ではだめなのだ。みんなのためを考えて自給農業を運動として広げなければならない。と書きながら今の日本の状況は簡単ではない。30年以上経過したのに自給農業を広げる力が無かった。
石垣でも手を挙げたらば、反応してくれた人が10人はいた。そこからである。手を挙げなければ始まらない。少々不安でも手を挙げよう。私だって石垣島で手を挙げて、怖かった。余りに農業の条件が違い十分な耕作が出来ない。でも一人でないからその怖さも共有できれば乗り越えることが出来る。