何故貧乏生活がやりたいのですか。

   


 のぼたん農園では苗代田んぼから、一番田んぼへの水路が出来る。この作業を若い女性のデザイナーの人と一緒に行った。話していてのぼたん農園のマークを作ってくれることになった。水牛もいた方が良いと言うことになった。どんなマークになるか大いに楽しみだ。

 BSテレビのSDGS番組に友人の相原海さんが出演する。その関連の取材で電話取材があった。海さんは養豚をやられている。養豚をやる前に私の自然養鶏場を手伝ってくれた。その頃の話の取材である。その頃は研修させて欲しいという人が沢山見えていた。

 まだ山北にいた頃、現代農業に自然養鶏のことを1年連載をした。この連載が、自分の自然養鶏がはっきりと形になった。そのご、テレビ取材も何度かあった。そういうことでやっていた自然養鶏やあしがら農の会に興味を持つ人が出てきたのだと思う。

 そうした人の中には学校に行かなくなった若い人も何人か居た。学校のことは教師をやっていたのだから、ある程度は実情が想像できた。学校に行っても仕方がないと思う人の方が当たり前だろうと思えた。我慢して学校へ行くか、無駄なことは止めようと思う人が居るはずだ。

 良い大学に入り、良い就職をしてと言うような人生がもう魅力的ではなく見えてきていた。しかし、親にしてみれば良い就職をすればひとまず成功に見える人生の方が安心と言うのも当たり前の事だから、純粋な若い人であればあるほど、いたたまれない心境になるのかもしれない。

 教えると言うより、むしろ若い人から色々学んだ。教えると言うことは学ぶことだと言うとおり、自然養鶏を誰にでも出来る形にして行けたのは、若い始めてやる人と一緒に働いたことだと感謝している。今消息が分かる人でも3人が今自然養鶏や養豚を張り切ってやっている。

 海さんは南足柄で養豚をやっているので、小田原に行った時に会うこともある。台湾で稲作をやられている人も居るので、その人のところには是非とも訪ねたいと思っている。石垣の稲作のことで一番教わる人である。浜松でやられている人もミカンと養鶏で前向きに頑張られている。

 BSの記者の電話での質問が、「何故貧乏生活をあえてしたいと思うのですか。」というものだった。もう少しきれい事風な質問ではあったがそういう趣旨だった。正直その記者には分からないというのだ。収入がそんなに少ないのに何故そういう貧乏な道を選ぶのかという、正直すぎる疑問だった。わざと少し刺激的な質問にしたのかもしれない。

 自由ほど人間にとって大切な価値はない、と答えた。自分の生きたい方角を、自分の力で生きて行きたい。この思いは人間の根源的な欲求だ。残念ながら多くの人はそれを抑えて生きている。簡単に言えば、否、簡単には言えないことではあるが、豊かな暮らしをするためには自分のやりたいだけではだめだと考えるのだろう。

 お金があればほどほどの幸せに暮らせるというのも間違いではない。貧乏生活が苦しいというのも間違いではない。それでも人間は生まれてくれば必ず死ぬ。その生きると言うことの意味に気付くと、充分に生きたい要求が生まれる。自由に自分の夢に挑戦したい。こう考えることも普通のことだ。だいたいの場合、その夢をあきらめるのだろう。夢を見ないような心理になるのかもしれない。

 もちろん生きる目的を金儲けという所に置く人の方が多い。金儲けしてどうするのと言うその先のことまでは考えない。お金の心配がなくなったら、みんなにお金を配るのか。そういう宇宙旅行に行った人も居る。それで幸せに成れたのかと言うことは、死ぬまで続く問いだろう。

 よくよく考えてみれば、生活の安定をえるだけでは、生きている事にはならないというのは当たり前すぎることだろう。いつもそれではどうすると言う問いは待っている。そのことに若い内に気付いてしまう人も居る。気付けばその道がどれほど困難なものであろうと、歩み始めずには居られない。

 人間というものはそういう物だと思っている。絵が描きたい。そのことだけのために普通の暮らしを捨てる人はいくらでも居る。貧乏暮らしでも描きたい絵を描いた方が望ましいという人は居る。人間らしく生ききるためには、そういう価値観を大切にしなければならない。若い人のそういう夢を削いではいけない。

 今もそういう思いで若い人と関わっている。仲間が居るからその夢を貫ける。明日の食べ物すら乏しい暮らしをしていても、共感できる仲間が居れば、豊かな暮らしになる。その生きることがむき出しになった暮らしの奥底に、絶対の安心がある。
 
 貧乏なのに豊かであることを確立するのは、第一には食糧の自給である。食糧の自給が確立できると、金銭による豊かさなど馬鹿馬鹿しく見えるようになる。自分の力で生きることが出来ることが分かれば、本当にやりたいことが見えてくる。

 様々な社会的な束縛から解き放たれる。これだけはやりたいと言うことが見えてくる。今、ノボタン農園の整備を続けているのもまさにそれである。これが今やりたいと言うことが見えてきた。やるべき事が見えれば、これさえやれれば他のことはどうでも良くなる。

 ノボタン農園に全力を費やすことが、今生きていることであり。それが生活を豊かにすることになる。もちろん出費だけで、収入があろうとは思っても居ない。生きている間に軌道に乗せて、次の人につなげて行ければもうそれだけで満足である。

 お金にならないことでも日々が楽しい方が良い。それを遊びだと思うらしい。確かに遊びと言えばそうなのだが、命がけのことであるのも確かである。農業法人を作り、どんどん田んぼ経営をやる社長の命がけと少しも変わらない。

 この先の世界を予測したときには、日本では自給の田んぼ以外残れなくなると思っている。どれほど経営合理化したとしても、経営効率を考えれば考えるほど、日本で稲作を続ける人は居なくなる。ベトナムで大規模稲作経営をした方が利益が出て、炊いたご飯が送られてくるのかもしれない。

 それでも日本に田んぼがある事の大切さが分かる。日本の環境のためには田んぼが必要なのだ。田んぼが無くなれば、日本ではなくなる。日本人の大切な感性が失われる。環境は悪化する。それでは困ると私は思っている。それでもいいと国会の所信表明演説で菅元総理大臣は発言した。主食作物よりも、輸出できる農産物を作れとの発言を私は忘れられない。

 日本人がどこに向かおうというのか。大きな流れが経済至上主義であることは変えられない。だからこそ、正しい方向を同じく志す仲間が緩やかな連携をとる必要がある。緩やかな連携が見えてくると、貧乏生活が豊かな暮らしに変わって行く。

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