泡盛甕古酒くうす作りの楽しみ

くうす甕1斗瓶(12升入る)が3つ。五升瓶が3つ。三升瓶が2つ写真に写っていない甕一つは新垣栄用作陶。飲む量から計算すると、最低一斗甕がもう一つ無いと5年くうすを飲むことは出来ない。今甕をネットで探しているのだが、詐欺ネットがあった。詐欺ウエブは増えている。
体重が55キロを越えていない日は、薬石として泡盛を100ccを飲婿とにしている。お寺では夕食のことを薬石という。仏教本来の戒律では昼の12時以降は食事をとらないことになっている。そのため、食事ではなく薬として解釈し「薬石」と呼ぶ 。酒は百薬の長と言うからあながち間違いではない。
薬石の習慣は10年以上続く良い習慣である。あわもり100cc日本酒なら1合、ビールならば中瓶1本。ぐらいならば、少量のお酒は健康に良いという、指摘に従っている。だんだん多く飲みたくなると言うことはない。始末の良い適度な健康飲酒である。
健康と飲酒の関係は、多くの酒飲みが気になる事なので、様々情報が繰り返されている。概ね少量の酒は健康にとって悪いものではないというのが、一般的な医学的知見と言って差し支えないだろう。私も長年それを実戦してきた結果、健康にとって酒が問題だとは感じていない。酒で病気をしたなどと言うことは今のところ無い。
酒は気分転換できるというところが悪くないと考えている。悩ましいことを翌日に持ち越さないためには、酒である。100CCの泡盛で良いのだから、安直なものである。と言ってもこれは泡盛にも30度もあれば45度もある。43度を飲んでいるので、正確に言えば、75ccしか飲めない。
55キロを超えたら飲まないというのは休肝日を設けた方が良いと言うことで始めたことだ。前には週に1,2回は55キロを超える日があったのだ。ところが酒を飲みたい余りに、間食などしない習慣になった。最近は55キロ超える日は滅多にない。この点でも酒は健康増進になっている。
酒よりも間食100グラムの方が、よほど問題があるだろう。確かにケーキを食べれば、気が晴れ晴れするという人も居るだろう。それを毎日の習慣として続けていれば、身体を壊すことになりそうだ。まあ、昼食を食べないで、ケーキにすれば大丈夫だろうか。
酒を飲むとすぐ眠くなるので、日によっては7時前の明るい内に寝てしまう。遅くても8時前には眠る。結果として早起きと言うことになる。それでも朝4時頃までの8,9時間という長時間寝床に居る。睡眠は健康の為にはとても重要である。
酒によってはカロリーの高いものもある。アルコールだからカロリーがそこそこ高いのは仕方がないが、蒸留酒はそれでもカロリーが低い。100cc160kcal程度 とされている。これはお茶碗1杯のカロリーとおなじくらいと考えれば良い。夕ご飯を食べないで、薬石としてお酒を飲むのは何とも合理性がある。
どうせ飲むのであれば、美味しい泡盛が良いと考えて、古酒クースを作っている。これは妙薬作りと考えればなかなかである。クースの甕は見ていて、造形的に素晴らしく、奥に何かが宿る気がしてくる。小田原では甕を集めていた。小田原の家には良い備前の甕がある。甕に興味を持ったのは、クースを作るよりも前のことである。倉敷美術館で人の気配を感じて、振り返ると浜田庄司の壺があったのだ。
クースを沖縄で飲んで、なかなかうまいお酒だと思って作ることにして、クース甕を集め出した。その頃一斗甕が10売りに出ていて、みんな買おうと考えたのだが、どうしてもだめだと言われて、何とか話し合いのすえ3つだけ購入した。あのとき何で10個買わなかったのかと今でも悔やんでいる。一斗甕の良いものは高いしそう簡単には手に入らない。
クースを作るのだから、漏れがあっては困る。古い壺などには漏れることもある。また焼き締めが足りないものは、にじんでくるのでくうす作りには向かない甕もある。徐々にアルコール分が抜けて行くのだ。どんな甕でもいくらかは抜けて行くはずだ。程度の問題であるが、よほどの良い粘土で高温で焼き占めたものでないと困る。
くうす作りには仕次ぎ という方法がある。年代物の泡盛古酒の甕を古い順に1番から5番、6番まで用意する。一番甕から最上の古酒を汲み取ったら、その減った分をそれより若い二番甕から注ぎ足し、二番甕には3番甕からとどんどん循環させる。
仕次ぎ をすることで古酒の香りを損なうことなく、逆に深めながら、酒の質も落とさないように工夫してゆく。100年くうすと言うものが沖縄の家庭では作られていたという。それが各家庭のおもてなしだったのだ。 首里王朝が中国から来る使節団(冊封使) の接待にも、100年くうすが用いられた。
年寄が亡くなったときに、亀甲墓の中にくうす瓶を仕込み、50回忌の時に明けてみんなで飲見ながら、ご先祖を偲ぶというようなこともあったらしい。古い熟成されたお酒を新しい甕に加えることで、新しい酒が早く熟成が進んで行く。人間もしつぎして香りが増す。そして、100年経っても安定した味を保つことになる。
どこかの名家に特上の古酒があるという話を聞くと訪ねて、少しだけでも分けてもらい、そういう年代物の古酒を集めては壷に詰めて親酒を造る。それに少しずつ若い酒を仕次ぎしながら、量を増やしていくという手法でより美味しいくうすを作り、楽しんだのが、昔の沖縄の酒の楽しみ方だという。
先ずはくうすの味を知らなければならないが、実は私には分からない。新しい泡盛と違いコクの深い甘みがと言われる。確かに甘く飲みやすくなるのは確かだ。泡盛は、泡盛に含まれる成分そのものが、長期熟成することによって、物理的変化、科学的変化をへて香味成分などに変化すると言われている。
本当の化学では分からないが、確かに飲みやすくなるのは、新しい泡盛とくうすを飲み比べれば、酒飲みでもない私にでも分かることだ。正直なところ、くうすのおいしさなどを意味ありげに語るのは、余り好きでも無い。私には毎晩の泡盛が気分よく飲めればそれでいいのだ。
ただ自分が気に入った良い甕で、くうすをつくり、それを飲んでいる気分は良い。なんと美味しい酒なのかと、自己満足して飲んでいることで十分である。自分が美味しく出来る泡盛。これこそ泡盛の魅力ではないだろうか。何か泡盛造りに参加したような気分になる。
酒のコレクターとか、投資家ではないのだ。自分が飲む酒を育てる気分がいい。何でも自給するのが好きなのだ。お金を出せば、古い甕のくうすが買える。そうした興味は丸でない。自分でくうすを作り、どんな味わいなのかと飲む。こうした気分が良いだけだ。
自分で甕を作りたいと思っている。自分の甕でくうすを作るこの気分はさらに良いだろう。5升甕ぐらいなら作れるかもしれない。そのうち時間が出来たならば、甕を焼かせてもらおうかと思う。のぼたん農園で甕作りをしていれば何とかなるかも知れない。高温で焼き占められる粘土と窯を頼めるかどうかである。やはり石垣島の土が良いだろう。