瑞穂の国の天皇の意味

天皇のことと言うか、天皇制につてを考えてみる。天皇を考えると日本人の現状が見えてくる気がする。天皇をどのように考えるかで、その人の生き方が見えてくると思う。天皇さんぐらいが良いと、高坂 正堯 さんは語った。それだけのことでなんとなくその人の立ち位置が分かった。天皇陛下という人もいれば、テンちゃんという人もいる。
若い日本人の大半の人は、天皇に対して一見何も考えていないかのように見えるが、多分そうでもないところを感じている。日本の一部の人に、天皇に関してとても強い思いがある人達がいる。その代表例が右翼的な政治家だ。彼らとっては天皇は特別な存在なのだろう。
その理由はよく分からないが、天皇を神と考えているのだろうか。あるいは利用価値が高いと考えているのか。日本人の統合のためには必要と考えているのか。日本とは何かを考える上で象徴として天皇を外せないと考えるのだろうか。見当違いの時代錯誤である。
日本を考えるのであれば、普通の平均的な日本人のことを考えるべきだろう。柳田民俗学的に言えば常民である。宗教観とか、日本教とか考えてみたい。日々何を喜びとして生きているのだろうか。何を目的にしているのだろうか。どうもお金があればと考えているようだが、そうなる理由はどこにあるのだろうか。
何しろ日本の右翼というのは、アベ氏のように反日信仰宗教統一教会と深い関わりを持ちながらの、裏切りの日本主義なのだ。心根が腐っているとしか思えない。自分たちの利権のためには何でも利用しようとするのが右翼なではないかと思われる。
天皇家の名前が有効利用できる間は、折に触れて持ち出そうとするように見える。右翼的な人達は天皇を神であると考えるのであれば、なぜ靖国神社を否定する天皇を神と考えながら、靖国神社に参拝するのだろうか。戦争で死んだ人を弔うのであれば、戦没者霊園が相応しい。ここになぜ神社が登場するのだろうか。
天皇自身の立ち位置は知らないが、天皇は神道に関わる人で、伊勢神宮を中心とする神道と関係する。この辺のことは特別に知りたいとも思わないが。天皇は仏教徒であり、神道にも関係する。天皇はそもそも宗教的な存在ではない。敗戦になり、人間宣言と言うことをした。これは占領軍向けの行為なのだろう。日本人の象徴と言う人で、西欧で言うような意味の神であったことはない。
どうも天皇の万世一系とか、日本人のアイデンティティーとか言われても、まったくピンとこない。日本人を考える際に天皇を持ち出す人はたぶん権威主義者で天皇を持ち出せば説明が付き、相手が納得すると考えるのだろう。天皇を軸に於いて、日本主義を考えれば国家主義の筋道を立てやすいと言う明治帝国のシッポだと思う。
天皇を持ち出して、それに従うということにすると、日本人のなんにでも従う国民性に丁度良かったのだ。実は反日だったかも知れない安倍氏が最長期政権となり、国葬と言うことになった。これほどに情けない主体性を持たない国民性なのだ。
日本を考える時には日本人の普通の暮らしをする人々から考えるべきだ。どこかに上の方に権威を置いて、そこから逆算して日本人のことを考えれば、国民は何にでも従うのだから、とんでもない日本主義が登場する。天皇は除外して、日本の在り方を考えるのは当たり前である。
民主主主義が日本を壊してしまったと考える人が天皇主義者であり、日本主義の人達だろう。日本の民主主義は日本を壊すほどの力が持てるほど、確立されたことがあるとは思えない。民主主義が確立できないから、日本が壊れてきていると考えた方が良いはずだ。日本は国民が自立した民主主義国家ではない。だから、天皇の亡霊が登場するのだ。
江戸時代の天皇の在り方が良い位置づけだと思う。権力とは一切関係が無い。伝統文化の元締め。伊勢暦の発行者。京都の文化人。ところが明治維新を行うに当たり、権威を欲した薩摩長州藩が討幕運動に天皇家を担ぎ出し、勤王攘夷と言うことになる。この動きが明治政府による、天皇制に繋がって行く。
維新の会等という政党が今の時代にあるように、明治維新から大日本帝国という時代を再現したいという、人達がいていつも天皇の権威を自己主張の材料に利用する。まあ、新撰組というような政党もあるが。その結果、天皇家に対する国民の見方を歪んだものにしている。
天皇家は国民の中に自然吸収されて行くのが良い。天皇家自身が万世一系が良いと思えばそうすれば良いだけのことだ。天皇が権威的な立場からできる限り遠ざかる方が良い。そしていつかは普通の家族になれればそれに越したことは無い。
ただその成り行きは時間をかけた、自然の変化が良い。政治的な存在ではないのだから、政治的な変化よりもある意味自然消滅が良い。その意味で男子のみ天皇になる形が良い。これは右翼の人も賛成しているから都合の良いことである。数代の内に自然消滅になるだろう。
天皇も笹村も何ら変わりなくアフリカのミトコンドリア・イブの末裔である。天皇家の特徴は日本文化の継承者である。文化、芸術、学問、仏教を尊重し、支える。江戸時代初期の後水尾上皇がその良い事例である。修学院離宮をつくり、日本の在り方を造園という形で、示した。
棚田庭園である。最上部に暮らして、その排泄物を溜め池に流す。溜め池で発酵した肥料が、下の田を潤す。この形の中に、日本の在り方を示そうとしたのだと思う。後水尾天皇は模型これは世界に誇れる生活の形である。これは世界に誇れる美しい生活の形である。
瑞穂の国日本の姿を見える形で模式図で示した。最近の言葉で言えば、SDGSである。後水尾天皇このままでは日本と言う思想が消えると考えた危機感があったのだろう。江戸幕府の考えている姿は日本ではないと考えたのではないか。文化の欠落感である。
循環型の日本人の暮らしの在り方を庭園の姿で表した。それは徳川幕府から、ないがしろにされた、危機意識の中で日本思想を保ってきた天皇家として日本というものを残したいと考えたからなのだろう。文を持って日本を統合するという意識を感じる。
ところが明治政府が考えた、天皇ではこの観点が一切抜け落ちてしまう。武の象徴に飾ろうとしたのだから、まったく愚かとしか言えない。この明治政府の愚かしさは、結局の所大東亜戦争を起し、みじめな敗戦を迎えることになった。
今現在、修学院離宮の意味が把握されていない。天皇家は水土をつかさどる技術者のような存在。稲作はおおきな水土工事が必要なのだ。しかし、一度構築されれば、未来永劫食に困ることはない。この水土工事をつかさどるのが天皇家である。
稲作と水土の計画は、国作りそのものだったはずだ。弥生時代の卑弥呼以来、日本人はそうして生きてきたのだ。天皇家はその中で、中国から最先端の水土技術を取り入れ、日本を瑞穂の国にしたのだと想像している。しかし、どこを見てもそういう歴史観はない。
それでもこの空想は間違ってはいないと感じている。田んぼの水土工事を何度も行い、稲作をやってきた経験がそう考えさせる。天皇家が考えた稲作を、未来社会の在り方から、再構築したのが、のぼたん農園の楽観園である。
自給の姿である。人間は一日1時間100坪の土地があれば、生きて行くことが出来るという楽観の姿である。