人間の幸せについて

写真は手前右側が1番田んぼ。サジオモダカが大きくなっている。今月末に収穫だそうだ。その右下が2番田んぼ。その下に少し3番田んぼも見えている。その奥には7番田んぼと、その下にわずかに8番田んぼが見えている。遠くに光っているのが、英太郎さんの田んぼである。
いよいよ9日にはイネの種を水に漬けた。のぼたん農園の2回目の耕作が始まる。期待と不安で高揚する。種籾は昨年のぼたん農園で採れた、「とよめき」を2㎏と「ゆがふもち」1㎏である。これで、3枚の田んぼの直播きと、3枚の田んぼの苗の分である。
おかげさまで幸せに暮らしていると思う。やりたいことをやれているのだから、嬉しい日々を感じて生きている。今日やることを考えるだけでもおもしろいことになりそうな気がしてくる。先日は棚作りをしたが、そんなことが実に楽しいのだ。やりたいことを仲間でやるというのはそういうことなのだろう。
生きてきた記憶を振り返ってみると、何時の時代を思い出しても楽しく、仲間とドキドキしながら暮らしてきたと思う。さあどうなるだろうか。出来るだろうか。失敗だろうかと言う不安がいつも大きかった。結果として上手くゆくと言うことの方が少なかったわけだが、別段それでがっかりしたと言うことはなかった。
失敗しながらも何とか切り抜けて生きて来れたのだから、幸運だったのだと思う。考えれてみれば成功を目指して生きてきたと言うより、冒険に挑戦すると言うことの方が好きだったのだと思う。生きると言うことは大冒険である。この生きるを最大限にしてゆきたい。仲間と失敗覚悟で挑めるというのがおもしろいのだ。
のぼたん農園の冒険の最大の課題は、体力が続くかである。始める前に身体が続く年限を5年とみた。一年目は普通に働くことが出来た。これは幸せなことだと思う。あと4年病気もせずに、身体が保てばと考えて身体を整えている。厳しいことだと覚悟して毎朝の動禅を行っている。
やれることはすべてやる。これが冒険に乗り出す面白さなのだろう。冒険の目的は人類の未来のためである。人様のためがなければ幸せな気持ちになれない。人間は、加山雄三のように、「君といるときが1番幸せなんだ。」などと言っちゃいられない。
人類のために生きていると言うことが確信できれば、人間は幸せになる。当然なことだが人類のためになる、と言うところがなかなか難しい。科学の進歩も人類のためなのだろうが、随分と失敗が多い。今や行きすぎの感がある。一体宇宙など行ったところでどうなるのかと思う。
のぼたん農園は人間が未来永劫生きて行ける形を表そうと考えて作っている。何があったとしても、ここに戻れば人間は大丈夫だ。そういうことを形にして示そうとしている。自給の思想の具現化である。修学院離宮が瑞穂の国の姿の模式図であるように、のぼたん農園を自給に生きる暮らしの模式図にしたい。
自給思想はこれからの時代のよりどころになると考えている。それは35年前自給生活の冒険を始めたときからの体験の結果である。35年前に世界は危うい方角に向かって行くと、思わざる得なかった。予測したとおり、資本主義は末期的な様相に陥り、次の時代を見いだせず混乱を始めている。
どんな時代になろうと、自分の体力だけで生きて行ける自給農業を根底に生きて行けば、自分の人生をまっとうできると言うことだ。私が絵を描いて生きて行きたいと考えて、それを貫くことが出来たのは自給農業を確立したからである。
「人間一日1時間、100坪の土地で働けば、食料は確保できる。」後の23時間は自分の好きなことで生計を立てれば良い。そう思って生きてきた。またそれが実現できた。その1時間は仲間がいればと言うことだ。仲間がいなければ、2時間である。
仲間がいる。これが幸せの最も基盤になる。仲間がいれば何でも出来る。石垣島でのぼたん農園を呼びかけて、30人くらいの仲間が出来た。これはすごいことだと思う。似たような自給の暮らしに興味を持つ仲間が、忽ちに、なんと30人も集まったのだ。本当にこうした仲間に助けられてここまで来れた。
志を同じくする仲間がいる。これほどの幸せはない。これは、類人猿時代の人間だってそうだったに違いない。小麦の種を蒔いた。ジャガイモを植えた。大麦を播いた。向日葵を播いた。机作りを午前中に行いして、午後にまだ時間があったので小麦をまくことにした。天気が良くて、久しぶりに土が乾いたのだ。
このチャンスはない。しかし、一人では出来ない。出来ないことはないかもしれないが、その気力と体力が危うい。さあみんなでやろうと言うことで、午後に再度集まり、一気に片付けた。1時間ぐらいで終わっていた。結果はどうなるかは分からないが、ともかく小麦の試験栽培が始まった。
その後のぼたんの鼻の穴を空けた。そしてわかばがまた紐を外してしまったので、捕まえようとしたが失敗した。わかばは紐を嫌って逃げ回っていた。ところが中川さんが、一人で鼻紐を付けてしまった。さらに、コンテナの中に棚を作るために、中川さんがもらってきてくれた、パレットの分解して、棚の枠を取り出した。なかなか良い材料である。
こういうことが行って行くのが幸せなのだと思う。仲間と力を合わせて、やり遂げる。一人でまずやるのは楽かも知れない。一人で出来るようになったら、仲間とやれるようにならなければならない。仲間とやれるというのは、自分というものを高めると言うことだ。自分の自我に固執すれば仲間とはやれない。
一人でやれると言うことは大切なことだ。しかし、次に仲間とやれるようにならなければならない。仲間とやれると言うことは仲間を補って行くと言うことだ。仲間の不足を責めるのではなく、仲間が上手くゆくように、自分が補わさせてもらうと言う覚悟のことだ。
実は絵を描くといういかにも一人でやれるようなことでさえ、仲間とやれなければ成長はない。天才のような特別な人ならば別だろうが、普通の人がその最大限の所まで成長するためには、良い仲間と助け合う以外にない。そう思って水彩人をやってきた。
水彩人があった御陰で、私絵画にたどり着けたと思う。他人の評価ではなく、自分自身の成長のために絵を描くと言うことが出来るようになった。これが一番の幸せだ。絵を描くと言うことは人と競べるものでないと言うことが、分かったのだ。これが絵を描く喜びになった。
絵を描くことも、のぼたん農園を作ることも、自分の幸せの日々のためである。生きる目的はそれ以外のことはあり得ない。人のためにばかりに生きているすばらしい人がいる。そういう人は人のための生きることがその人の喜びのはずだ。そこまで進めれば、最高の人だ。
良い仲間と、人間のためになる良い目的を共有して、全力で生きる。それが人間の幸せなのだと思う。