農(業)の未来は開けている。前半

   

6番田んぼ
 農業の未来を考えたときにはっきりしていることは、この先急速に今考えている農家というものはなくなって行く。どの予測を見ても20数年後には農業の経営数が激減している。農業者は今の20%ぐらいになる。農業企業が農業を行うようになる。雇用された人は、農業者には一応入れない。

 農業の問題は農業で働く人の問題になる。 農業の問題と農地の問題とは少し違う問題である。農業と言うときには産業としての農業という意味である。産業としての農業は個人経営の農家が企業的農家に変るか、吸収されて行くのだろう。経営できるものだけが残るというのは、他の産業と変らない。

 他の産業と少し違うのは、農業が国の安全保障と関わっている点である。防衛費は全くの無駄金だが、必要と言うこと7兆7385億円。食糧自給率が30%台から上がらない状況では安全な国とは言えないという点だ。国の安全保障としての食料生産に、いくら出すのか。

 世界規模で食糧危機が迫っている中、食料を何時までも輸入に頼っていて良いと言うわけには行かない。しかし、政府は農家への直接支払いはしない。普通の農家は経営できないで止めて行くのは必然である。大丈夫とは思えないがそう成ることははっきりしている。食糧不足の深刻な状況がすぐそこで待っている。

 政府の考えは、大企業が行う大規模農業に集約して行く方針だろう。企業を重視するのが自民党の方針である。スマート農業と主張している。ITと自動運転の機械を使うような農業に変って行くと言うことになる。農業で働く人は減少して行くし、外国人労働者も日本には来てくれない時代が見えている。これもほぼ確実なことだろう。

 国は企業的農業に支援的政策や、補助金を集中し、育成して行くだろうから、一定の食料生産は増えるだろう。一般農家はさらに競争力を失い、継続不可能になる。農地は企業農家に集約化されて行く。同時に農業地帯の人口減少が進み、地域としての維持が難しくなる。ここまでのことはかなり確実な予測である。

 社会の成り立ちが変って行く中で、どう次の次世代は生きる事が良いかである。IT時代に生き残る企業というような特集を、ネットではよく見る。次の時代に生活して行かなければならない、子供の未来に対して、どんな教育を与えれば良いのか心配と言うことだろう。

 本当に必要なものは未来社会の予測ではなく、日本がどういう社会を作るのが良いかである。食料生産は卵と同じような形になる。養鶏業は優等生と言われてきた。大規模な10数社の養鶏企業が生産の中心になり、その周辺にさまざまな小規模な特殊養鶏がある状態。

 日本の農業も遅れながらもIT化機械化が進み、日本の気候や地形に適合する品目については、それなりの生産性を持つものになって行くはずだ。そうならなければ、日本社会が不安定化する。その一方で、養鶏業の中に、烏骨鶏卵の生産農家があるように、特殊な形はいくらか残るが、全体の形を変えるほどにはならないだろう。

 その一方で、地方は人口減少がさらに進み、社会基盤が失われて疲弊し、中山間地の農地の放棄が進んで行く事も間違いが無い。日本の中山間地は、里地里山という作られた自然であった。だから手入れがされなくなれば、自然に戻るとは言え、調和が崩れ崩壊も目立つものになる。

 林業も農業と同様な方向で進むから、日本の80%を占める中山間地の自然環境の維持が困難増して行く。今まで、中山間地の住民の手入れで、無償で管理されていた、里地里山の担い手がいなくなるのだから、止むえないことだ。日本の中山間地が守られてきた理由は経済合理性だけではない。

 こうしてあと10年もすれば、日本の地方社会と農業は新しい局面になっている。企業的農家が利用できない農地を、放棄したままでは様々な不都合が生じてくる。そうした場所で暮らしてくれる人達に、国として奨励しなければならないという政策が提案されることだろう。

 本来であれば、今すぐにでもそうした中山間地の農業者に対して、直接払いをする必要がある。それは世界中で行われていることだ。しかし、そうした政策は票にはならないし、ぱあー券も買わない人達だから、無視されている。補助をして、生き残れば企業農家が拡大することの邪魔になると考えている。企業農家はパー券を買ってくれる。

 しかし、いよいよ人口減少によって中山間地が崩壊し、手を打たざる得なくなることも、時間の問題である。日本の手入れで守られてきた中山間地が、いよいよ土台が腐り始める。こうした米百俵のような未来に向けた政策は、転げ落ちるところまで行かない限り手が打たれることはない。

 農業を取り巻く流れ重要なことは、こうした日本の変化の中でどのように次の世代が生きるかである。本来であれば、革命でもやって政府を変えて、日本の農業政策を根本から変えるべきだが、そんな出来ないことを考えても仕方がないので、次の世代のために自分が出来ることの範囲で、どうすべきかである。

 自給農業の技術を確立したいと考えている。自分が20歳ぐらいのつもりで考えてみる。中山間地には病院もない。学校もない。生活インフラもない。そんなところが増えて行く。その暮らせないところで暮らす技術を作り出すことだ。江戸時代の人であれば、十分に生きる事ができたはずだ。

 医療で言えば、自分の身体は自分で管理する。私はそうして病院や薬は使わず、今まで病気をしないで生きてきた。本気で自己管理をすれば、完全ではなくとも可能だと思う。教育については、多くの方の御陰で学ばせていただいた。学校という形ではない教育を、学ぶものが教えるものを探す教育が必要になる。

 江戸時代よりも様々に自給生活がしやすい条件が揃っている。中山間地であれば、かなり好条件の農地が利用できるようになるだろう。家も放棄されているから、少々直せば住める家が無償で手に入る可能性が高まる。少々の不便さえがまんできれば、自給生活には良い条件が生まれている。まず健康な肉体を作る必要がある。

 自給農業の条件は、1反ぐらいの場所があれば良い。そこには家があり、田んぼと畑がある場所だ。水は必要だ。水は湧水があれば最善である。地形にも寄るが井戸は自分でも掘れる。電気はソーラー発電で最小限在れば自給できる。そこの場所まで行ける道路はなければならない。

 道路があっても、自分で補修などしなければならないだろうから、幹線道路からそう遠くない場所。携帯電話やパソコンは利用可能な場所。回りには人家はないほうが良いかもしれない。どのみちおかしな奴のおかしな暮らしになるはずだ。少数派の人間には、普通の人間の口出しが一番やっかいだからだ。

 しかし、人間を拒絶する必要も無い。志を同じくする者とは緩やかな連帯が必要である。新しい社会を作り出すつもりで暮らしてゆけばいい。社会が能力主義になればなるほど、社会とは距離を取って暮らす人は増えるはずだ。人間の生きる充実は能力とは関係が無い。

 途中まで、明日に続ける。

Related Images:

おすすめ記事

 - 楽観農園