下村博文自民党議員とは何者なのか。
下村氏は憲法審査会のまとめ役である。にもかかわらず、憲法がどういう意味のものか理解できていないのではないか。憲法を普通の法律と同列に判断しているようだ。野党が職場放棄しているという驚くべき発言である。憲法に関しての議論は自民党案を基本にして、修正して国会に出すというような法律レベルの判断だ。下村氏は「女性記者が次官からセクハラを受けたことを、週刊誌に売ること自体がある意味で犯罪」と発言したことがあった。その講演でさらに、「日本のメディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと、最近つくづく思う」と語っている。まったく驚くべき政治家である。さすがアベ忖度政治家である。何か意図的な行動なのだろうか。あるいは単に無知蒙昧な政治家という事か。日本国家というものをつぶすために存在しているのが、いまやアベ政権ではないかと言いたい。アベ政権はこういう意味不明の人間を憲法を取りまとめる立場にして、適当に操縦する。日本の女性記者は大いに声を上げて欲しい。日本の女性蔑視の実態を正す必要がある。一人の問題ではない。一人の声で終わらせればさらにひどいことになる。勇気を出して告発した人間が、犯罪扱いで終わる。福田元事務次官が居直った背景には、下村氏の様な保守党議員や官僚の根深い女性蔑視の意識があるからだ。今度は下村女性蔑視議員が憲法を取りまとめるという。
ここで終わらせないという事は、まず早急に福田氏を懲戒免職にしなければならなかった。職務が果たせないから辞職など、何を勘違いしているのかと思う。冤罪なので裁判闘争をするそうだ。本当にやっているのか。女性の記者全体を甘く見ている。日本の国民の目を甘く見ている。私の所にまで、福田氏を擁護するコメントが来る。そういう事が巷に広がっている。人間というものの尊厳は等しく万人にある。日本国憲法に示された人権という物への理解が欠けているのだ。権力の上に立つものほど、厳しい人権に対する認識が必要である。日本が人権後進国であるという事を深く反省しなければならない。政府はこの事件が国会審議を妨害しているとして、野党の態度を批難している。憲法審査会と同じ構図である。審議拒否の前に審議に入れる前提を作るべきだ。この事件を曖昧にしている国を日本とは呼んでほしくない。余りに恥ずかしいことだ。
下村氏は文科大臣の時に加計学園から政治献金200万円貰っていた。今回の撤回した発言の言い訳を自分のホームページに掲載している。全く問題を理解できないでいる。理解力が足りない人なのか、悪意が黒い腹の中にあるとしか思えない。こんな女性蔑視の、憲法無理解の人が日本の教育を再生を主張するなどおこがましいのではないか。明らかに福田氏の発言を信じて、女性記者の発言を疑っていたのだ。まず被害者の声に耳を傾けるのが、人間の在り方だ。偽りの告発であるかどうかの方向にすぐ意識が行くという事が問題なのだ。まず上に立つ人間が、被害者に寄り添う事だ。下村氏の生い立ち伝によると、幼少時に父が死んだ。貧困の中で育ち、教育は権利だと考えるようになったとある。なぜそのような人が、弱いものの側に立てないかである。弱いものの側に立ち、たとえ騙されても構わないではないか。強い者の側の主張に便乗しての発言を恥ずかしいと思わうべきだ。下村氏は、生い立ちを思い起こして、この被害者の声を疑う感覚がどこから来たかを反省するところからやり直すべきだ。そして憲法に関して、根本から議論をすべきだ。自民党案の修正の前に、憲法とは何か。立憲主義をどう担保できるのか。憲法裁判所を作らないで良いのか。そういう議論から始めなければ、憲法の改定は出来ない。
下村氏はいよいよ、憲法改定を担う自民党の責任者になった。人権意識の低い忖度人間だからこそ、自民党は憲法改定を任せて良いと考えているのだろう。むしろ、人権問題や教育勅語を語ることによって、アベ内閣を支えた貢献で、自民党の憲法改正推進本部長に下村博文氏が任命されたのだろう。何のための憲法改定なのかが見えてくるようだ。