石垣の住民投票請求

   

石垣島では自衛隊ミサイル基地のすでに設置準備が進んでいる。既成事実化するために、今年度中に着工しようと防衛施設庁と中山市長とで画策している。来年度に入ると新環境条例による、環境アセスメントを行う必要があるからと言われている。その前にかたちだけでも着工しようという、姑息な考えで進められている。すでに地境杭の敷設を行い、隣接地に立ち入ったというのでもめ事も起きている。一方で、石垣の若者たちが中心になって、自衛隊配備の是非を問う、住民投票の請求が現在行われている。11月末日までに1万名の署名を集めるという事である。現在4000人の署名が集まったと言われていた。もし、多くの住民が希望する結果になれば、与党議員の中にも2名の方が、住民投票に賛成するという事である。住民投票をしたとしても、自衛隊誘致が決まるという考えだそうだ。住民投票を行うことになるかどうかは、それほど時間のかからない間に決まりそうだ。それを待たないで着工するというのは、問題がねじれる原因になる。

米軍辺野古基地拡張でも似たような経過をたどったために、現在でも住民の分断が起きている。性質の悪かった仲井眞知事は、辺野古反対を選挙では主張していたにもかかわらず、辞める直前にどんでん返しで基地着工を承認した。これが辺野古問題を捻じ曲げ、長引かす原因になっている。どういう結果になるにしろ、住民投票を行い住民の考えを確認すべきである。与那国島では住民投票を行い、基地建設を認めて、基地が設置された。その結果は住民自身が引き受けるのが、民主主義である。私は基地はない方がいいと考える人間である。しかし、そこに暮らす人間が必要だという事で選択するのであれば、それが最優先されるべきだと考える。それは与那国の選択でもそう考えて、このブログでも以前そう書いた。石垣島で大切なことは、地方自治の民主主義の手順である。防衛に関しては国の専権事項であるからと言って、住民の意思を無視していいはずがない。住民と十分に話し合い、理解の行き届いたうえで、住民投票を行う。そしてその意思が最も尊重されるべきものだ。スイスが永世中立を保ち、国民皆兵を引いている背景には、直接民主主義がある。住民が自己本位で国のこと等考えないというような、住民を低く見ることは民主主義ではありえない考え方である。

石垣に基地があることが、石垣の安全につながるのかどうか。まず、住民は自分の命を守る観点で判断するであろう。所が、石垣に日本の防人に成れというのが、日本会議の主張である。日本の保守層は自己本位なのだ。沖縄に犠牲を強いるのが、アベ政権の一連の行為である。尖閣諸島を棚から降ろしたのは、石原都知事である。尖閣を問題化して、中国の脅威を煽ろうという考えである。中国が日本を占領してしまううような危険な国家であることに、国民が気付いていないという、馬鹿げた発想による行動だった。トランプ一国主義が世界の緊張を高めている。力による対立はいつか爆発につながる。強いはずのアメリカが、実は中ロの共同戦線に対抗するには危ういとう軍事分析が国防総省から出ているそうだ。アメリカはさらに軍事力を強化することだろう。ロシアも中国も同じ歩調をとるだろう。こうした軍事大国の疑心暗鬼の軍事力の拡張合戦が戦争につながる。日本の軍事力など、たかが知れている。せいぜいアメリカの捨て石作戦にされて終わりである。

軍事力に頼らない平和外交以外に世界平和はない。日本国憲法がいくら理想主義的であろうとも、崇高的な目標であろうとも、これ以外の道に世界平和はない。だからこそ、自衛隊は専守防衛つまり、国土保安隊に戻すほかない。災害支援隊でもいい。外国からの攻撃を、自然災害と同列に考え対処する。軍事力で相手の攻撃を抑えることなど、すでにトランプアメリカさえ不可能という事だ。これだけ核兵器が広がってしまった状況で、日本が核武装もできない軍事力であれば、あくまで専守防衛をうたいつづけるべきだ。それが平和外交の理念的背景になる。日本は絶対にあなたを攻撃はしないし、出来ない。この条件を保つべきだ。生半可の武力を持つことが大きな危険になる。こういう世界情勢と憲法の大前提で、石垣島にミサイル基地が必要かどうかを考えなければならない。攻撃力のないミサイル探知機器なら必要なのかもしれない。確か与那国島はそうではなかったか。ただし探知機能こそ場所を知られては軍事力にならない。当然船や、潜水艦で探知する方が効果的であろう。

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