暴走北朝鮮
北朝鮮の暴走を見ていると、大東亜戦争を叫んで、突き進んだ大日本帝国を彷彿とさせる。唯一違うのは当時の日本は日独同盟を希望としていた。短期決戦で持ちこたえれば、ヒットラードイツが勝利してくれるだろうと考えていたのかもしれない。日本の軍隊にはドイツ信仰があったようだ。孤立した北朝鮮は世界からの圧迫を一身に受けている。いつ暴発するかとハラハラしてみている。周辺国の対応としては、中国、ロシアは話し合い解決以外にないとしている。武力では解決できないと主張している。しかし、アメリカは先制攻撃をちらつかせ、韓国と共同軍事演習による挑発を続けている。そのアメリカと韓国に対して、アベ政権は全面的な支持を表明し、さらなる経済的圧迫をする以外に、北朝鮮の核ミサイル開発を止めることができないという判断である。現状は核ミサイル開発を止めるどころか、予想以上の速度で実戦化が進んでいるだけである。経済封鎖に効果がないとなれば、先制攻撃という事になるのだろう。
このままでは、北朝鮮は過去の日本と同じように、窮鼠猫を噛むことになりかねない。今にしてみれば、なぜ日本がヒットラーに期待して、無謀な戦争に突き進んだのか理解しにくいことだ。結局のところ国内の経済的苦境だ。日本は石油を絶たれたことによって、戦争に進んだ。自分が強国であるという妄想の上に救いを求めるほかなかった。北朝鮮もこのまま座して死を待つより、打って出ようという事になりかねない。北朝鮮を暴発に進めない方法は、中国とロシアの存在以外にない。先日の中国からの特使が追い返されて、ミサイル実験が行われた。日本でも、日本会議では核武装が主張される事態になっている。アメリカの属国から抜け出られない原因はアメリカの核の傘である。核に守られている以外に安心がない。それは北朝鮮も同じことである。傘をさしかけてくれる人がない以上、自分で核武装する以外に道がないと思い詰めるのは、独裁者の陥る不安の意識であろう。中国やロシアの属国でいたくない北朝鮮の核武装なのだろう。
北朝鮮の独裁者が一番必要としているのは面子である。名誉ある撤退に違いない。憎たらしいから圧迫してへこませてやれというような対応は暴発が近づく。核保有もミサイル保有も認めてあげるという悪の道ですら、戦争よりはましだ。何故、核保有が一定の国だけに許されるのかには道理がない。道理のない背景にあるのは、強い国の過去の成り行きによるだけだ。世界の非核化が道筋としてあるのであれば、まだ道理が見える。日本は核兵器禁止条約に加盟しない、口先だけの核兵器削減論である。被爆国であり、原発大事故の国である日本ですら、核武装を主張し始めている。自民党の中には本音としては核武装論者が相当数存在する。現状では何故、北朝鮮の核武装が許されないのかの根拠がない。河野外務大臣は、核軍縮の道を模索すると書いている。その実効性のない現実は、北朝鮮の核ミサイル開発をやめさせることができないことと同じだ。日本は世界平和のため、紛争解決の為、軍事力を使わない平和的手段による解決を提案しなければならない。憲法にはそう決められている。
このままでは核戦争に突き進むと言わざる得ない。アメリカが先制攻撃をすれば、日本の米軍基地、自衛隊ミサイル基地がミサイル攻撃を受ける可能性が高い。アメリカに向けられた少数の長距離ミサイルは、迎撃される可能性が高い。アメリカの先制攻撃が起きたら、ともかく軍事基地から離れることだ。反撃の形が作れるのは、韓国日本の軍事基地の攻撃である。このままゆけば、軍事基地のない島にでも逃げる以外にないことになる。原発安全性も神話だった。北朝鮮の攻撃があるはずがないと思い込んでいたら何が起こるかわからない。この馬鹿げた状況で、ミサイル基地を作ることが地域の安全を高めるなどと、主張をする石垣島の中山市長は市民を危険に追い込む市長にしか見えない。基地がなければ、北朝鮮の攻撃はまずは受けない。それは中国にしても同じだ。武力があることが危険を呼ぶのだ。