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笹村 出-自給農業の記録-

2026年の総括

   

2025年が今日で終わる。「日に日に世界は悪くなる。気のせいか。そうじゃない。」ばけばけ主題歌。良いことなど滅多にない今日この頃。辛い時代に入った。戦後80年が過ぎて、平和への願いが風前の灯火である。まさかこんなことになるとは思わなかった。甘かった。

社会は次第に良くなるのだと思い込んでいた。小学校で戦争は行けないことだと教えて貰った気がする。遅いと言うことで、あってはならない。諦めて何もやらないと言うことは、戦争への道を認めたことになる。傍観者でいるよりも、無意味に見えるひ弱な平和主義でも、挑む人間でありたい。何がやれるのかが問題だ。

平和に生きることの喜びを、知らせる役割に位なら出来る。2026年こそ「のぼたん農園」の「暮らしの活動」を本格化したい。自給農業が平和の道であることをここに証明する。戦争は貧困から生まれる。戦争は希望のない社会から生まれる。

何時の時代も生きることを諦める代わりに、戦争をやるきゃないと、思い詰めるのだろう。戦争なんかやるよりも、自給自足で生きた方がどれだけ楽しいことか。一日1時間みんなで働けば、人間食べるものには困らない。戦争なんかする必要はないのだ。「落ち込まないで諦めないで、君の隣で歩くから」とばけばけでは歌っている。

世界は一部の富裕層と呼ばれるほんの一握りの拝金主義者と、くじに外れた貧困層とに分かれて来ている。つまり、トランプとガザの市民とに分かれた。富裕層のトランプがさらに豊かになりたいと、さらに貧困層から搾り取ろうというのだ。

悲しい世界の現実が、戦争への道を駆り立てている。トランプ関税は戦争のあたらしい形だ。それでも、「生活しなきゃと座ったり。夕日がとても綺麗だね。野垂れ死ぬかもしれないね。」このハンバートハンバートの歌はなかなかすごい。ばけばけには、没落者のどん底での希望がある。

2026年は石垣島の8年目が始まる。石垣島が中国攻撃の軍事基地化して行く7年間であった。この愚かな戦争への流れを食い止めることの出来ない7年間であった。一番悔しいことは、石垣市長の中山氏が軍事基地化を主張して、選挙で再選されたことだ。

そして今度は沖縄県知事に手を上げている。まるで悪夢の芝居を見るようだ。芝居と言っても喜劇だな。中山氏がしたたかなのか、したたかな参謀がどこかにいるのか。手を上げても選ばれるわけはない。それでも手を上げる効果を狙っている所がさすがに怖い。

本気の思い込みなら沖縄は前線基地になる。誰か政府の関係者とつながっているようだ。その誰かにおだてられ、踊らされている。踊らされて、石垣市民を戦争の盾にしようとしている。私にはまともな人とは到底思えない。中山商店の非買だ。

選挙結果が石垣市民の本音なのだろう。つまり、明日の生活の為には、しょうがない。軍事基地が好きな人はいないが、右翼の中山市長の方が国の補助金を貰ってくれる。公共事業を引っ張ってくれる。こう考えて支持している人が多数派だと言うことになのだろう。

背に腹は代えられないと考える人が多かったと言うことだと思う。一部には軍事力で島を守れると考える人もいるのかもしれないが、その人は彼我の差の計算が出来ない人なのだろう。日本本土のためには防人になって頑張る。というさらに愚かな人もいたのかもしれない。

様々な中山支持層がいるのだろうが、反中山の平和運動が力を持てなかった一年である。その結果、社会の分断が進んだのだと思う。石垣島に北京まで届くミサイル基地を作るべきだという人たちと。ミサイル基地は石垣島を戦場にするだけだという人たちの、社会分断。

両者の間には亀裂が出来た。話してもむだだという空気感が生まれた。互いに人間が違うのだから、別々に社会を形成するほかない。対話が出来ない状況が生まれた。私自身、中山市長と話しをしてもむだだという気持ちにしか成れない。別世界の人のような気がする。

何故、ミサイル基地があれば、石垣島の市民が守れると考えるようになったのか。愚かだからと言うわけだけではないのだろう。中国社会と日本の社会の理解が、かけ離れているのではないかと思う。日本の80年前の戦争の加害責任の認識が違うのではないか。

日本はやむ得ず戦争をした。欧米の帝国主義に対抗した、黄色人種を救う、大東亜共栄圏の聖戦を戦ったと考えて居るのではないだろうか。百歩どころではなく、一万歩まで譲ってそうだったと受け入れたとしても、戦争では解決できなかったと考えて居る。

戦争と言う手段は問題の解決どころか、問題を深刻化して終う。その場逃れの方法に過ぎない。恨みを増幅し、帝国主義の問題は解決どころか、さらに問題を大きくして、今世界を覆い始めている。トランプ、プーチン、習近平、そして高市氏。

富の偏在である。貧しい側に追い込まれる恐怖から、戦争が始まる。殴られる前に殴れ。そんなことよりも、どうすれば富を一部に偏在させないかである。その解決ができない限り、戦争はどうも起こりそうだ。多くの愚か者が、自分も富をむさぼろうと必死なのだ。

来年こそ、民主主義が立ち直る年である。まず身の回りから心がける。1人1人の人権を守ることからだ。自由であること。独立していること。奉仕に生きること。足下の実践に生きなければならない。社会全体のことよりも、自分自身のこととしたい。

2025年の私的10大ニュース。

1,夏の2ヶ月雨がないという記録的な渇水で、稲が不稔になる。気候の極端化が目立ち、例年という考え方が難しくなった。

2,のぼたん農園下に降りる道路と、下の田んぼを作る。下の田んぼは上の田んぼよりは湧水の量が大きい。水を有効利用できるように田んぼの配置を換えた。畑を6枚作った。

3,6個目の100㎡の過去最大の溜め池をつくる。溜め池作りは楽しかったのだが、難しいことも多く、何度も失敗した。今は満水になっているが、いつまで満水が続くことか。

4,大豆栽培に5回目にして、始めて成功する。台湾嘉義の2軒の有機農業の農家さんから、丁寧に教えていただくことが出来た。素晴しい台湾の農業者にお会いできて、そのことが喜びだった。源郷自然生態農園と十甲有機農場。

5,樹林コーヒー園を作り、苗を100株植え付ける。台湾の阿聰自然田で教えていただいたやり方である。台湾の有機農業のレベルの高さに驚かされる。

6,4トンユンボを購入し、農場の整備を進める。ユンボの作業自体は4年になる。下の田んぼを作るためには借りてやるのでは限界と感じて、購入した。良いユンボを買うことが出来て、快調に作業をしている。

7,水彩人春季展船堀で開催し、好評で、来年の継続開催が決まる。船堀のタワーセンターでの開催は、入場者がともかく多く。水彩画の展示には向いている明るい会場だった。一階にあると言うこともとてもいい。

8,のぼたん農園の参加者が48人になる。新しい下の田んぼ参加者が11名になる。5つのグループ田んぼに加えて、6畝の新しい田んぼが加わった。共同の田んぼがもう2つある。田んぼ面積は併せて、2反になった。

9,石垣島生活7年間が経過した。石垣暮らしだと言う自覚が出来るようになった。後期高齢者となり、肉体の限界を感じるようになってきた。まだ農作業は何とか出来るので、あと6年間働けるように、動禅体操を続けて身体の管理をしたい。

10,のぼたん農園の面積が4ヘクタールになった。管理地が増え人が増えている。自給農業技術の確立の順調な進展の1年だったと思う。

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