地方活性化と物流
地方社会そのものの消滅が言われる。それは日本という国の成り立ちの力をもぎ取ることになるだろう。日本人は地方社会で生まれたものだ。都会生活では日本人は育たないとまではいわないが、日本人でなくなる可能性の方が高いであろう。より地域に根差した民族性こそ国際性を持つということからすれば、日本という国が徐々に衰退して行くという事になると考えざる得ない。地方の社会を日本全体で守る必要がある。地方社会が存在しない日本社会はあり得ないと考えた方が良い。地方での暮らしを好むものもいる。都会暮らしが好きなものもいる。好きな方に暮らせる状態を作ることが大切である。それにはいくつかの要素が必要であるが、そのつもりになれば難しいことではない。1、仕事を作る。2、教育が受けられるようにする。3、医療が可能にする。この3つさえ何とかなれば、むしろ地方の暮らしを好む人がいる。
1、地方での仕を可能にするためには農業の見直しである。国際競争力を重視する農業とは別枠で、地方社会を守るための農業の存在を認めることだ。それは食糧の自給という事でもある。一定量の食糧を自給する権利は国家の独立的権利である。この権利を放棄してまで世界企業に国家が奉仕する必要はない。2、教育はむしろ地方の方が良い場である。私は金沢で大学に行ったのだが、東京の学校に行かない選択を出来たことを実に幸運だったと思っている。教育の無償化はむしろ、私が大学の時にストライキまでして、主張したことだった。受益者負担の主張によって、大学に自らの力で進学しにくい時代になってしまった。3、医療こそ国の力で解決できる問題である。地域医療、予防医療、を徹底する。医療情報の国家全体での共有化が鍵だと思う。
昔、田中角栄コンピューター付きブルドーザー総理大臣は、地方にはキャバレーもパチンコないから都会に若者は出る。とだみ声で演説していた。それも一理あるが、それは半分である。都会には自然も人間らしいく暮らしもないから、地方で暮らしたいという若者もいるのだ。それぞれが好きな地域で暮らせる社会こそ良い社会ではなかろうか。3つの要素共通に整備しなければならないのは、流通である。郵便は地域格差がなかった。はがきは日本全国共通価格である。小包も共通価格にすべきだ。どこに暮らそうとも同じ価格で物が届くのであれば、生活の不便はかなり解消できるはずだ。その為には税金の投入も加える必要がある。今後ともその地域に暮らしてもらいたいと考える地域には、同一価格の流通を作る。モノの流通だけでなく、情報インフラも国の責任で地域格差をなくす必要がある。山間部であってもドローンの活用など、これから改善されるだろうことはいくらでもある。