共謀罪とGPS捜査の違法性

   

警察が捜査の為に裁判所の令状なしに、怪しいと思う車に密かにGPSを取り付けていた。この捜査手法が最高裁まで争われ違法という結論が出た。最高裁は監視社会に対し警鐘を鳴らした訳だ。最高裁まで争ったという事は違法捜査など平気でしているのが、警察だという事が分かる。共謀罪が出来て、なお一層スパイ的捜査が行われることだろう。私がやっていることをすべてをブログで公表しているのも、痛くない腹を探られるのが嫌という事もある。見えるようにすれば密かに付け回されることもない。なんとなく警察が理解しがたい人間を、要注意人物としてマークしている。確かに反安倍政権である。然しそうした人間がいるのは民主主義社会では当たり前のことだ。反政府的人間を付け回すことを、警察の任務のように考えている。これで共謀罪が出来たらば、GPS捜査など当たり前に行われるようになるだろう。根拠なく、GPS捜査しても共謀の恐れがあると疑ったで、済まされることになる。

GPS、スマホ携帯電話や各種カード情報、ネットの利用、顔認識の監視カメラ、などを総合すれば、かなりの個人の行動の割り出しができる。テロ集団ではないかと考えた組織を、たとえば米軍基地反対集会の参加者を徹底的に付け回す。テロ集団の可能性があるという理由付けがなされるだろう。警察にあらゆる個人情報を把握されるだろう。権力というものは不安を膨らませるものだ。全ての反対運動の参加者は減少する。権力を忖度する人ばかりになる。学生であれば、就職差別を受けるかもしれない。一度反対運動に加わっただけで、個人情報が徹底して警察に把握され、蓄積されてゆく。こうした圧力を加えることで、政府に都合よい人間だけの社会になってゆく。反対意見が言いにくい社会。結果、委縮した社会になる。すでに委縮した感のある社会だが、一層ひどい抑圧された社会になる。何故かその方が良いという人の方が多いい社会にすでになっている。本能的な自己保身感覚が進んでいるのだろう。

先日の都議選の時に、ニュースキャスター候補のスキャンダル記事が週刊誌に掲載された。あらゆる報道にかかわる人間のプライベートが追跡されていることであろう。痛いところのある人間は、言いたいことも言いにくい状況が作られているはずだ。その為に、最近の報道は実に政府の太鼓持ちのような人間ばかりになった。こうしてテレビ報道も衰退した。太鼓持ちだけでは活力がなくなるのだ。日本の元気が失われてきたのは、こうした監視社会になり始めていることを、全体が感じ始めたからだ。年寄りの私がまだ元気に発言できるのは、子供いないし、先がないから居直れるからである。これから、学校に行ったり、就職したりする人は、得も言われぬ不安の中で、自分の生き方を選択させられている。監視された、スケスケ、見え見えの社会の中で、自由な発想がしにくくなっている。共謀罪はこうした監視社会を合法化するものになる可能性が極めて高い。

次の社会において、いかに個人の情報を守るのかをまず決めなければならない。権力に対して個人情報を集約させない方策を決めなければならない。全ての人間が自由に生きる権利がある。国家から監視されなければならないいわれはない。テロを理由に、国家権力の批判を弱めることは、民主主義社会を衰退させることになる。自分は別段、不満はないという人にしてみれば、政府批判する輩など、徹底監視されて仕方がないという空気が広がっている。もうヒツジの国になり始めている。共謀罪を検討する前にどうやって個人の自由を確保するかを、決めることだ。それが活力ある社会の原則である。国家権力が集めてよい個人情報の範囲を決めることだ。権力者が必要とする情報が集めやすい社会になっている。集めて悪用すれば、闇の独裁になる。共謀罪が出来て、さらに自由が失われ日本が衰退してゆくことになる。確実に悪い社会に向っている。

 

 

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