ヤマイの時代
原発事故以降病いの時代。と言ってしまえば見えて来るものがある。それは鬱病患者が100万人になったということもある。そう言うことだけでなく、社会全体が病んでる感じだ。歴代の総理大臣の言動など、まさに政治というヤマイに冒されているとしか思えない。それを報道するマスコミと言われるものも、ヤマイとしか思えない。パニックを起こさなかった原発報道ということで、自己分析している。政治やマスコミが「人間というものに信頼を持てない不安。」を根底に持っているということだろう。人間を信じられないというヤマイ。経済もヤマイを前提に動いている。コマーシャルなどヤマイを突いている。痩せる薬。除菌剤。まるまる水。考えてみれば安全神話など、オカルト集団となんら変わらない、ヤマイの世界である。ヤマイの原点にあるものは、拝金主義である。拝金主義に侵されて、人間を信じることが出来なくなった時代。
金の亡者がその抜け目なさを競う事で、国の中枢に、企業の中央に居座り、浅薄な利益論で判断を下す。それが上手く回らなくなってきた。その為に、倫理的な精神を捨て、より深刻な裏切りを繰り返す。それが重なリ、社会全体に広がる。それが今の時代のやまいを生んでいるのではないか。村上春樹氏の「ノルウェーの森」はそう言う社会のヤマイ現象に重なるように、共感し流行したのだろう。日本のヤマイは深刻な状態である。価値観がヤマイ化したということである。アメリカに言われて天皇という神を捨てた訳ではない、拝金主義が蔓延することで、天皇を失ったということになる。女性天皇がもつ、神主としての神聖をどう考えているのだろう。日本主義者のハンゲンキの弱さを見るともう日本自体が無くなりつつあるのか。要領よく社会の中心に居座る人ほど、欲の塊が動いているような場合が目立つ。金権主義が病という訳ではない。それが上手くゆかないがためにヤマイに落ち込む。日本の喪失。尊敬されない金儲けに失敗した日本。今の状態をヤマイと考えれば、これからの方向を正せる。
ヤマイから抜け出すことは、ヤマイの中に生きている以上極めて難しい。まず、原因の分析もむずかしいのだが。何故金儲けが回らなくなったか。それは、人間の能力は差がないからだ。どの国も経済競争の中で頑張りだした。日本だけがナンバーワンとは行かなくて当たり前だ。企業というものが、民族や国を越え出した。この為に日本人という倫理観は捨てた方がよいと考える経済になった。日本人を支えてきた、日本という集団の倫理を薄れさせ始めている。関西の大震災の時と比べての、東北の大震災のへの対応に、その空気の変化を感じる。日本で起きていることというより、何か海外の大災害と変わらないような反応。瓦礫処理拒否反応等にみられる。「頑張ろう東北」であって日本ではない。総理大臣は震災復興ではなく、消費税だけに政治生命をかけてしまった。
江戸時代の庶民の価値観を、封建制度下の奴隷の価値観と総括したのは、資本主義下の浅薄な拝金主義だ。ご先祖に見守られるて生きる安定。こういう価値観を取り戻す事だ。西欧的個人主義はとても大切な思想ではあったが、安定的な社会というものが失われてゆくなかで、利己主義の側面だけが日本では広がった。江戸時代の社会のあり方を、材料として見直す。戻れということではない。人間が生身で生きるという皮膚感覚を取り戻す、成長段階を子供たちに作り出す。子供時代生き物としての人間を生きる必要がある。小学校で英語をやるとかいう教育ではない。人間が生きてゆくには、何をどうしなくてはならないかを、伝える必要がある。何故人間が社会的な存在であるのかを、身に沁みるように伝えなくてはならない。ということは大人たちも生き方を変え、価値観を変えなくては駄目だという事だ。それが難しいがために、ヤマイの時代なのだろう。