バーチャル農業

   

ここまで来たかのかと、びっくりした「バーチャル農業」である。最初目にした時は携帯電話で子犬を飼うようなことが、農業でも起きているのかと思った。何と本当の野菜を育てる、指示だけ農業である。つまり、遠隔操作で野菜を育てるのだ。つい、こういう農場で働く農業者の立場にに立ってしまう。都会のパソコンの前の、栽培者からあれこれ指示を受ける農業に耐えられるかどうか。結構深刻に考えてしまった。パソコンで指示をして育てた野菜は自分で購入するらしい。面白いアイデアである。失敗したら、パソコンでの指示が悪い訳だし、良く出来たシステムであるのは確かだ。「テレファーム」という愛媛の松山にある会社らしい。農業体験が偽物だと文句をつけてきたが、こうなるとはっきり偽物を楽しむ訳で、それはそれで良いのかなど思わされる。ぁあ…人間の劣化だ。こんなバカなことがあるもんじゃない。

その内、テレ漁師や、テレ狩猟というようなものも出て来るのだろうか。テレアーミーが出てきたら、人類は終わりか。いや、そうか今の戦争はテレアーミーになっている。擬似体験を疑似体験として、正面から楽しもうという文化は、文化の劣化を意味している。これでなんとなく野菜を栽培している気になってしまえば、本当に野菜を作るという事から得られる、自分を育ててくれる大事なものが、抜け落ちる。まだしも農業体験の方が、嘘っぽいけど、本物を誤解する恐れはあるが、知ってもらおうという意図はある。今度は自然というものを遠隔操作で、いじくろうという事だ。悪魔的なことが天使の顔をしてあらわれたようなこの事業は怖い。疑似空間でなく、現実を動かし自ら食べる。とんでもない形で農業をしていますということにもなる。大げさに言えば小作人を使った、新農業の登場ともいえる。これなら、競争力のある農業かもしれない。

エチオピアの高地で、野生種のモカコーヒーを作るとか。雲南の天空の棚田で、古代米を作る。チリでリャマの毛を育て、セーターを編む。大間でクロマグロ漁。こういうテレファーム産業が出て来るかもしれない。商売になることが、価値のある事になるのが資本主義である。中国産米の輸入をして、一儲けというテレファームなど、新しい投資先として出て来るかも。和牛商法の新しい形もありそうだ。社会はこうした方向が、間違っているなどとは考えない。儲けになりそうか、そうでもないかだけが、判断基準。擬似体験が良くないのは、命がかかっていないからである。本気で生きるという事が面白いのだ。日々の暮らしほど面白いものはない。当たり前の毎日が、素晴らしく生きるというフィールドに変わる。それが自分の毎日なのだから、有難い。テレファームではこうは行かない。もちろん行かないのを承知やっているのだろうが、「チェリーブロッサム」の悲劇になりかねない。

田んぼをやる。このお米しか食べない。この覚悟が私は好きだ。本気になると、色々見えて来ることがある。だから田んぼをやるのは絵を描くことだと思っている。田んぼをやって私の絵は私の絵になった。それがどうしたという程度のものだが。私が生きているということを味わっているという事だ。14日には種籾を蒔く。今種籾は水のなかで準備をしている。毎日水を変える。水の冷たさ。風の感触。籾の姿を眺めるとき、ドキドキしてくる。自然というもの全体を感じながら、籾の変化をみる。臭いをかいでみる。さあー今年も始まるぞという気持ちの高まりがある。8日には土振るいだ。今、ハウスで土は熟成している。昨日天地返しをしたが、ソバカス堆肥が完熟していたようだ。温度は10℃で安定している。大丈夫そうである。これで初期生育が少し良くなるかもしれない。どうも安定しない天候、気温の方が、今年も心配だが何とかなるだろう。

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