農業文化論
これは農村漁村文化協会の根幹となる思想ではないか。日本人の成り立ちである。日本人は農業をやりながら出来上がった民族なのである。確かに日本の文化として武士道とか、独特の日本文化が強調される。これは明治期の富国強兵策の理論付けである。実際の所は日本人の大半は、稲作をおこなうことによって出来上がった民族である。それは武士などが出現するより、はるか昔の縄文後期からの日本人の暮らしであった。稲を大切に携えて日本列島にやってきた日本民族一群。日本人の暮らしの隅々まで、深く根を下ろしてきた。日本人の所作から、物言い、考え方、暮らし方、すべてが稲作から生れてきた。ヨーロッパが風土の思想であれば、日本は水土の国である。日本列島に到着した稲作は、少しずつ少しづつ、北に広がっていった。本来耕作できないような北の地まで、稲作は必要に行われた。それは日本人の信仰というか、日本教の信者である日本人であると言う事の象徴として、稲作とはなれることが出来なかった。
稲作を行なうと言う事は、高い技術集団と言う事になる。特に水を管理すると言う事である。水土技術と稲作技術を高めた日本人。天皇家が水を司る信仰と言われる所以であろう。一つの水源があれば、それを奪い合う勢力争いが起こったことだろう。ここに集団化する必要が生れる。一定の団結がなければ水利権の獲得とはならない。獲得した利権を維持するためには、勢力の永続的な結集が必要となる。そして、獲得した水を分け合うための、地域内での関係調整が必要になる。こうしたことを、治めてゆく知恵もなければならないし。争いを有利に導く知恵も必要となる。部落ごとの力関係。部落内での共同する仕組み。そうして、たぶん3000年の年月をかけて、ある調和をもたらすこうして地域ごとの共同する部落的営農集団が生れる。それを一気に突き崩したのは、アメリカ占領下に行なわれた農村政策である。もちろん明治政府の行なった、悪しき軍国主義の農民搾取の精算は必要なことであった。
翻ってみると、戦後の日本の経済発展高度成長は、農村からの人材の流出であった。農村で育った何千万人の日本人が、農村を捨て都市に進出した。そして、高度成長期の日本の産業を支える、労働力として活躍した。日本人が稲作を行なう事で、何千年かけて蓄積した能力を遺憾なく発揮した場面である。当然その活動は世界の経済競争に勝利する事になる。しかし、そうした農村からの人材供給は終わりを告げた。ひたすら働ける、しかもきわめて繊細な感性を維持した、稲作で培った能力である。しかもそれは農村社会と言う、きわめて複雑な集団の共同を可能に出来る、配慮に満ちた人材である。今でも農村にはそうした最後の形で、地域の偉人が存在する。しかし、今や農村と言えども、農業をする青少年はいない。塾通いは、都会と変らない。こうして、日本人の農業文化がほぼ消滅した。
日本農業の再生は、あらゆる場面で主張される。しかし、現実には殆ど成果の無いまま、老齢化だけが進んでいる。それは、経済とだけ結びついた農業が問われるからである。もう一度、農業は日本人の根幹となる文化であることを思い起こすべきだ。文化の観点から、農業を見直し、経済とは切り離して考えなくてはならない。アメリカの主張する、農業はプランテーション農業である。地域の農業を消滅させ、農業労働者を奴隷として利用する農業である。これに惑わされてはならない。農産物は貿易される様な物産で無いことを、日本は主張しなければならない。そのためにもアジア共同体構想を考える必要がある。人間の幸福とは、経済とは別である。幸せは競争とは別の事である。このことを自給的農業は語っている。自ら作り、食べると言う、安心立命。これを基本とする生き方のできる日本に戻る事。日本という国土の豊かさはその時自覚できる。