舟原の田植え

   

田植えがとても楽しく出来た。今朝に疲れが残るほどではなかった。子供を入れると、25人くらいだった。9時に開始して、3時に終了。その後片づけを行なったり、ソバカスを撒いたりで4時にはすべてが終わった。自分にとっては、ワールドカップの試合が終わったような気分だろうか。それとも、はやぶさの帰還した安堵感の方が近いか。開放感と言うか、充実感と言うか、天然自然に感謝の気持ちに包まれる。一緒に田植えができた一人ひとりにも感謝。田んぼは人為をいくら尽くしたとしてもできることは限られている。自然の総合力のようなものにいかに、寄り添ってゆくか。自然への祈りに包まれる。田んぼは5時過ぎにもう一度見たときは、見事に水をたたえ、実に美しかった。それが、8時に見たときは何と水がまた抜けてしまった。何とか応急処置で穴を塞ぐ。今朝も心配なのだがもう少し明るくなったら、行って見たい。(5時に行ってみたが、大丈夫だった。)

代かき、線引きに苦戦したと思ったが、田植えは以外にしやすかった。土が救ってくれた感がある。土が昨年とは違う、一年一年客土された、赤土が田んぼの土に変わってゆく。それは僅かな粘りが加わるような具合だ。この田んぼは、道路が直されたときに、土を入れたのだそうだ。多分20年前にはなるのだろうが、それから土壌が育っていなかったのかもしれない。粘土分が溜まらないまま、来た様な感じがある。私たちが始めて、3年目になるわけだが、その前、3年ほど休耕していたから、6年間で徐々に、土の力に応じて育てる方向が出てきたところかもしれない。代かきをした時に、中段の田んぼが臭うと感じたが、これが田植えをしていてほとんど感じられなかった。土に力が読みがえてきた、田んぼらしい土壌になってきた気がする。土が良く成ると言う事は、生きた腐植が増える。と言う事ではないか。

セリが増えた。何故だろう。冬の間に下の田んぼ一面と言ってもいいほど、急速に増えた。2段目にも進出を始めている。これも田んぼの変化を表わしているのだろう。土が良く成ると、草が減る。こう言う百姓用語があるが、これは確かに実感としてない訳でもないが、厳密に考えると違うと思う。土が良くなれば、草にも良いはずである。土が良く成ると、コントロールしやすい草に変る。田んぼで言えば、ヒエが減る。コナギがコントロールの範囲に入る。セリが急速に増えたことは何を意味するのだろう。3月4月の雨の影響。秋起こしとクリムソンクローバーの関係。セリは南から広がっているというから、温暖化と関係があるのか。舟原は下より気温も低いので、この寒さを利用する方法はあるかもしれない。いずれ、耕運の仕方でだいぶ違うらしいので来年は工夫してみよう。

苗の背たけが小さかった。水没寸前の状態である。深水が出来ないのでヒエの心配がある。早めのころがしをやることだ。予定では、27日当たりか。もう少し早めもあるかもしれない。今年の梅雨は雨が少ないような気がするが、雨があまりに多い場合、ソバカス蒔きに苦労するかもしれない。昨日蒔いたソバカスは、既にすべて沈んでしまった。良いタイミングでソバカスを撒くこと。水の取り入れ口は、岩越さんが立派に直してくれたので、水温はだいぶ助かるはずだ。来週は欠ノ上の田植えになる。立派な田んぼになってきたので、とても楽しみだ。農の会の田んぼは、農家の田んぼから見ればだいぶ様子が違う。しかし、農の会の中でも田んぼの活動は、田んぼごとにかなり個性が違う。それだけ田んぼは受け入れ幅が広いのだろう。田んぼに感謝する。田んぼに学ぶことは大きい。

昨日の自給作業:田植え8時間 累計時間:20時間

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