鞆の浦景観権判決

   

鞆の浦は日本で一番魅力のある街。江戸時代の風景を色濃く残している街。今回、景観破壊を理由に公共事業を差し止めた判決が、広島地裁で出た。小田原では西湘バイパスが小田原の海岸の景観を完全に崩壊してしまった。この道路で失ったものの大きさ。この道路で得たものはどれ程のもだったか。よくよく考えておく必要がある。いつの日か、西湘バイバスが撤去される日が来る。必ずそういう時代は来る。失うものと、得るものが今とは逆転する時代が来る。便利とか、経済性とか、そういう方向のものと、景観とか、環境とか、そっちの方向のものとが、入れ替わる時代が遠からず来る。それは歴史の必然で、そうならなければ人類の不時着地点の発見ができないからだ。鞆の浦には何度も絵を描きに行った。独特の空気が漂う街で、もしかしたら江戸時代とか、300年前の空気を感じられているような喜びがある街。

まさかあの海岸を壊そうなどと、考える広島県と言う行政の土建的発想には驚きだ。海岸に便利な道路が出来たらどれほどの事だというのだろう。もう時代は動き始めている。街に車を入れないと言う発想がヨーロッパの古い街では普通になっている。これを考え付いた時の、土木的国家の方向とは、日本も方向は変わってきている。広島県の行政中に将来を見通せる人がいるなら、粛々とこの判決に従うことだ。鞆の浦の価値は、日本国民共通の宝である。こうした過去の遺産が、運よく残った事を肝に銘じて、次の世代に残さなければならない。それが今に生きるものの定めだ。もし鞆の浦で暮す人が生活できないと言うなら、海岸を壊す道路を作るより、この街で生活する貴さを尊重できる、援助を行政はすべきだ。例えばこの街の人には住民税を免除する。その分を日本全国からふるさと納税で集めたらどうだろう。それ位、この街は特別。日本にとって意味がある。今日本に生きている人は、一度早めに行ってみておいた方が良い。尾道とか、倉敷は有名だ。近いから比較して、見ればその価値の大きさがわかると思う。

判決に対し、「街に緊急自動車が通らない。命をないがしろにしていいのか。」このように憤る住民の方がいた。本当の事だろうか。今のままだと、命がないがしろにされているのだろうか。命という物は、便利とか、近代化とか、そういう物だけで守られている訳ではない。一瞬に緊急車両が来ないというようなところは、実は日本の大半の場所がそうだ。もっともっと命をこの街は育んでくれている。あの街の空気で育つ事ができると言う、幸運の価値を身に染みてほしい。若い人が戻ってこないと言うが、これからはちょっと違ってくる。パチンコやキャバレーがないから、若い者が都会に出て行く。田中角栄氏はこう言った。確かにそういう時代もあった。しかし、この先の日本はそうではなくなるだろう。日本だけでなく、世界の価値観が動き始めている。

歴史的景観と生活の利便性。アマルフィーという世界遺産の街がイタリア南部にある。長沢節さんが素晴しい絵を描いている。ルネッサンスイタリアの町がそのまま残っている。急傾斜地の天然の要塞ゆえに出来た街。それだけに暮らしは、歩いてだけ。お年寄りには大変な街だと思う。それでもこの街に道路を入れて便利にとか、海岸を埋め立てて、橋をかけようなどとは誰も思わない。多分言い出した時代はあったのだろうが、今はそういう時代でなくなっている。鞆の浦に暮す人に犠牲を強いようという訳ではないが、鞆の浦に暮している事を、本当にうらやましと思っている人が、沢山いる。これは知っておいて欲しい。実は、日本全国に鞆の浦はある。私の暮す舟原だって、鞆の浦的良さがある。守って伝えて行かなければならない、何千年かけて作られた、舟原の里地里山の暮らしがある。掘り起こし、見直し、戻して、大切にしてゆく。

昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:1時間

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