市民検討委員の政治的中立
市民検討委員と言う立場で、生ごみ堆肥化検討委員会に参加している。論文選考があって、検討委員に任命された。現在2回の委員会会議が終わり、第3回が10月5日午後2時から、5時まで開催される。場所は市役所の3階全員会議室。どなたでも、いつから、でも傍聴できる。退場も自由である。前回、遅れてきたと言う理由で、入場できない人が居たと言う事で、改善された事項である。市民検討委員という立場は、どう位置づけられているのだろう。このことを考えてみる。委員会冒頭で、ここで検討した結果は、行政において、あるいは議会において、どういう位置づけになるのか。質問をした。山崎次長の責任において、検討結果の実現を全力で努力してくれると言う事を確約してくれた。と言う不思議な宣言で一応この話は終わっている。議会との関連では、委員会の位置づけの説明がないままであった。
検討委員は市民から公募された委員4名 、行政が認知する団体からの選抜した委員6名とで構成されている。学識経験者のような専門委員は居ない。団体から選出されている委員は、環境ボランティア協会、自治会総連合、環境美化委員、農家代表、学校関係者、農協のドレミファーミー店長。私は食品廃棄物を鶏の飼料化している立場で選抜されたのだと思う。本来議会と行政が、生ごみの堆肥化を検討するのが第一義であるが、議員や行政は、必ずしも堆肥化の専門家ではない。堆肥化の現場については、議員より、行政職員より、詳しい人間が市民の中に存在するはずである。そうした市民を選抜し、小田原市が生ごみを堆肥化するに当たり、どのような手順で現実化することが出来るか検討する。そのために、会計士の方や主婦と言う立場の方も加わっている。生ごみに関係する一番の当事者である主婦の判断も重要と言う事であろう。長年堆肥を使って来た、有機農家の方が入っているのもその意味であろう。
市民委員は小田原市で生ごみの堆肥化を検討するには、最善の人選であろうと言う前提がある。一つかけているとすれば、市議会議員との関係である。行政は加わる前提で存在している。本来なら市議会議員としての総合的見識が生かされる必要がある。議会は後から、チェックする機能として働けば良い。と言う考えであろうか。堆肥化は現在進行している、広域ごみ処理と連動している。これは一重に政治的問題である。日本の経済や産業構造の問題に由来している。輸出型の資本主義経済構造において、競争に勝つという原理が存在する。例えば、中国が現在環境を犠牲にしても、経済成長を選択している。日本もかつて、高度成長期公害が起こることを承知で、経済競争の勝利を選択した。広域ごみ処理も日本がどのような国であるかと連動している。本音で環境立国と言う事であれば、ごみが出ない循環型社会と言う事になるだろう。
循環型社会が本音の目標なら、溶融炉による、広域ごみ処理の発想は出てこない。ごみは家庭で全てが処理される。ごみが出ない。これが目標となる。それでもどうしても出る医療系ごみなどが、全国にいくつか程度の、溶融炉によって処理される。しかし、現実にはごみ処理にお金と手間をかけない方が競争に有利である。そういう形で、中国に生産部門を進出している企業もあろう。中国にごみを出して、その製品を世界に輸出して、利益の上前を日本が戴く構造。話は少しそれたが、ごみの堆肥化と言っても、高度に政治的課題であると言う事を、説明したかった。民主党政権の25%のCO2削減政策は、溶融炉による大量消費路線の転換かもしれない。広域化以外の選択が、可能になるかもしれない。300トンの溶融炉補助金がなくなっても、広域化をするメリットは小さな自治体にあるのだろうか。(前半)