川勝平太氏
静岡県知事選に出馬した。無駄の象徴とも言える、静岡飛行場の出っ張った立ち木伐採で知事が辞めて、その後の選挙である。民主党、社民党、国民新党の推薦である。川勝氏は農業にとても理解の深い、経済学者である。農文協の企画の集まりで、長時間にわたって、お話しする機会があった。そのときは、とても紳士的で、頼りになる農業応援団と言う印象だった。早稲田の政経学部の教授であったはずだ。以前にもそのことは書いた。「サラリーマン小作」をすすめることを提唱したい。日本人労働力の大半をしめるサラリーマンの間での農へのあこがれ、つまり自然と調和した生き方、家・庭一体、ハウス・ウイズ・ガーデン(家庭)へのあこがれには、根強いものがある。販売用農産物をつくるためではなく、半自給でも4分の1自給でも、8分の1自給でも、自然のなかでの自給的な「農」を楽しむために、農地を渇望しているのである。農業は専業農民がするものという固定観念を打破し、これをすすめたい。このように言われている。
川勝平太氏はその後「新しい歴史教科書を作る会」の賛同者になった。何故なのか。このことが気になり、その動向は着目していた。静岡文化芸術大学の学長に就任した。川勝氏は江戸時代の社会を分析することで、江戸時代の日本の独自性。又先進性を「勤勉革命」と言う形でアジア型農耕文化の到達を評価する。その視点から、「日本列島改造計画」に代わる「ガーデン・アイランド構想」を提唱する。自身、軽井沢に住居を移し、そこで農的生活の実践も試みている。その直後、静岡文化芸術大学の学長に就任する。この人の中で、渦巻いているものは今も不明だが、石原慎太郎東京都知事と同じで、著作よりも現実の方に関心が強くなった、と言う事だろうか。安倍慎太郎氏に請われて、「美しい国づくり」プロジェクトに参画している。民主党、社民党はこうした今までの活動をどう認識して、どう確認を取って、推薦する事にしたのだろうか。
農業に関心を持つと、極右か極左になる。こう言われたことがある。農的生活をただ行っていれば、平和的な思想の持ち主になるなど、妄想である。こうも言われる。最もな意見だと思う。農本主義と言うように農業を考えると、現代における就農の流れは、一種の反社会と言えば、大げさだが、脱とも違う、社会変貌的活動のように見える。川勝氏がサラリーマンも農業をする。として実践を行った。又それを奨める。その主張の背景にあるものは、このままの資本主義社会では駄目だ。こういう思いがあるに違いない。次の社会を想定するときに、「農に帰る」と言う思想が、社会の次の指針として、経済史的に浮かんで来たのではないか。食べ物や、手工業的な「生きるという原点」に結びつく、暮らしを行動して見る事で、存在の原点を見失いがちな、分業化された現代社会の中で、人間性の回復が出来る。それは一個人に始まり、地域循環が再生され、日本社会自体の目的の喪失感が、改善されてゆくのではないか。
農業の未来を論議すると、現実遊離になるか、現実否定になるか。あるいは革命家になるか、テロリストになるか。当たり前の暮らしの中で、良い塩梅の妥協点を見出すことが困難になる。農本主義が他の思想と違うのは、日々実証的であること。作物と言う結果が、毎日出てくる。卵の作り方を、こうあるべき主張すれば、その結果となる卵に現れなければ、自身の立脚点がおかしくなる。「トマトは10段出来てから。ファレのは10以上花を付けてから。始めて意見を言え。」となる。そういう世界で、意見を言う場合、「私のトマトは、生命力が違うから、病気が治る。」宗教型の登場。「私のトマトは、世界一美味しい。」味への逃避型の登場。川勝氏はたぶん、10段トマトが作れなかったのだろう。何がいけないかと言えば、社会自体を変えないと、10段トマトが作れないと考えたのではないか。それで静岡県知事選に出馬。紳士の中の紳士に見えた学者川勝氏が、エキセントリックにテレビで叫んでいた。あの辺りが、「新しい歴史教科書を作る会」の賛同者になった原因か。学問ほど尊いものはないので、何か残念な気がする。